荒木雅博はドラフトで外れ外れ1位指名に「ウソだろ? 勘弁してくれよ」 入団当初の評価は「身体能力は一級品だが野球の技術がない」 (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 落合監督について「グラウンドではしゃべらないが、私服だとよくしゃべる」と聞いたことがあります。荒木さんの落合監督に対する印象は?

荒木 野球が大好きな人ですから、野球に関してはよくしゃべります。落合監督にはいろいろ勉強させていただきました。なかでも、とくに印象的な言葉あります。「すぐにできると思うなよ。今やって身につかないからすぐやめるのは絶対ダメだ。根気強くやり続けて2年、3年経ってようやく花が咲くんだ」と。落合監督に呪文のように唱え続けられました。要するに「努力に即効性はない」ということです。

── 2011年は落合監督の退任が決まったなか、ヤクルトとの10ゲーム差を大逆転して優勝。選手サイドから落合監督はどう映っていたのですか。

荒木 こんなことを言ってはなんですが、10ゲーム差ですからね。あの時、選手たちは半ばあきらめていました。あきらめていなかったのは、落合監督だけだったのではないでしょうか。知人に『ヤクルト優勝記念号』を制作している人がいて、完成寸前までいっていたのに......さすがに泣いていましたね(笑)。選手それぞれいろんな印象があるでしょうが、私は"泰然自若"という言葉が似合う監督だと思いました。

中編:「意外だった」落合監督の野球につづく>>


荒木雅博(あらき・まさひろ)/1977年9月13日、熊本県生まれ。熊本工高から95年ドラフト1位で中日に入団。02年からレギュラーに定着し、落合博満監督となった04年から6年連続ゴールデングラブ賞を受賞するなど、チームの中心選手として活躍。とくに井端弘和との「アラ・イバ」コンビは中日黄金期の象徴となった。17年にプロ通算2000安打を達成し、翌18年に現役を引退した。引退後は中日のコーチとして23年まで指導し、24年から解説者として新たなスタートを切った

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