荒木雅博はドラフトで外れ外れ1位指名に「ウソだろ? 勘弁してくれよ」 入団当初の評価は「身体能力は一級品だが野球の技術がない」 (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── そんななか、目標とする選手は誰だったのですか?

荒木 熊本工の9年先輩の緒方耕一さんです。足の速さを前面に押し出したプレーで、2度の盗塁王を獲得していました。私の高校時代、100メートル走のタイムは11秒3。だから、私も緒方さんと同じようにスイッチヒッターに挑戦したこともありました。

【落合ノックで名選手の仲間入り】

── 落合博満さんが2004年に中日の監督に就任し、荒木さんは全138試合に出場して176安打、打率.292、3本塁打、44打点、39盗塁。ベストナインとゴールデングラブをダブル受賞するなど、一流の仲間入りを果たしました。

荒木 プロ6年目の2001年に111試合に出場したあと、調子に乗って2年間くすぶってしまった過去がありました。もう怖くて、この時は調子にのらないように、自分を戒めました。みんな同じだと思いますが、自分が世に出る一番のきっかけをつくってもらった人に感謝するようになりますし、当然私も落合監督の野球に興味を抱くようになりました。落合監督に「現役はもう無理だ」と言われれば、いつでもユニフォームを脱ぐつもりの覚悟で努力しました。

── 落合監督は「荒木の二塁守備はメジャーでもトップクラス」と高く評価していました。

荒木 あれはリップサービスでしょう(笑)。ただ、守備が飛躍的に向上したのは、捕れそうで捕れないとこへ打つ"落合ノック"をひたすら受けたからです。あれだけノックを浴びたのは、野球を始めて初めてのことでした。そのおかげで、2004年に初めてゴールデングラブ賞を受賞できました。この年、優勝した中日はチーム最高守備率を記録(当時)し、ゴールデングラブ初受賞が6人()も生まれました。
投手=川上憲伸、一塁手=渡邉博幸、二塁手=荒木雅博、遊撃手=井端弘和、外野手=アレックス、英智

── 打撃もスクエアスタンスからオープンスタンスに変えました。それも落合監督のアドバイスですか。

荒木 オープンスタンスに関しては、誰かに言われたわけではありません。長くやっている間に徐々に開いていきました。落合監督にはシンプルに「背筋を伸ばしなさい」と指摘されたのが、今でも印象に残っています。そうすることですごく打ちやすくなり、そのまま続けていると、いつの間にか2000安打を達成できました。さすが三冠王の慧眼だと実感しました。

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