星野仙一政権の阪神を支えた元通訳が語る「助っ人外国人」との付き合い方「バルデスが激怒して...」 (4ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文text by Shiratori Junichi

【2003年のリーグ優勝時の裏方業務】

――阪神がセ・リーグを制したシーズン、チームの雰囲気はいかがでしたか?

「2003年に関しては、さまざまな事情があって僕は事業部で仕事をしていたのですが、毎日がお祭りのような楽しい日々を過ごしました。シーズンが進むにつれて、『ライセンス料を払うからグッズを作りたい』といった電話が引っきりなしにかかってきたり......優勝に向けて盛り上がっていくのを感じながら仕事をしていました」

――マジック2で迎えた甲子園球場での広島戦(9月15日)に勝ち、試合後に他球場でヤクルトが敗れたことで優勝が決まりました。当日のエピソードを聞かせてください。

「前日のナイター(ナゴヤドームでの中日戦)が終わった後に、警察から『夜中のうちから甲子園球場の前にたくさんのファンが来ているので、明日は早めに開門してほしい』という電話がありました。それで、翌日の早朝8時に門を開けると、すさまじい数のお客さんが球場に入ってきた。普段とは違う雰囲気や、優勝を待ちわびたファンのみなさんの熱量が感じさせられた試合でしたね」

――優勝の瞬間はどうやって見届けましたか?

「僕は優勝セレモニーの担当だったので、数千万円するだろうと言われたティファニー製のトロフィーを台車で球場に運んだり、ビールかけの準備をしながら優勝が決まるのを待っていました。マジックが減り始めた頃から、セレモニーの準備や優勝グッズの制作を進めていましたが、優勝がいつ決まるかと状況を見ながらの業務は本当に大変でしたね」

――ダイエー(現ソフトバンク)と対戦した日本シリーズは、本拠地の甲子園球場で3連勝したものの、3勝4敗で敗退しました。

「ただ、甲子園球場での主催試合(第3~5戦)では現地で仕事をしていましたが、3連勝したこともあってシーズン中とは比べものにならないくらい盛り上がっていましたよ。甲子園を訪れた約4万人のファンの歓声は地鳴りのようでした。結果的に日本一には届きませんでしたが、それを望む人たちの熱量の高さを感じましたね」

(後編:岡田彰布第一次政権を支えた阪神の元通訳が見た活躍する「助っ人」の特徴「馴染む努力が重要」>>)

【プロフィール】
河島徳基 (かわしま・のりもと)

学習院大学経済学部卒業後、アメリカ・ウィスコンシン州の「UNIVERSITY of Wisconsin La Cross」のスポーツ科学大学院に進学し、ストレングス&コンディショニングコーチになるための科目を専攻。カリフォルニア州の「The Riekes Center」にてアスリートにトレーニングを教える仕事に従事後、帰国。パーソナルトレーナーの仕事を経て、阪神タイガースで通訳や営業の仕事に携わる。2005年に「(株)RIGHT STUFF」を設立し、現在は代表を務める。主にスポーツ業界に特化した人材紹介や、ビジネスとスポンサーマッチングビジネスを展開中。

プロフィール

  • 白鳥純一

    白鳥純一 (しらとり・じゅんいち)

    ライター。ソウ・スイート・パブリッシング所属。WEBサイト「キングギア」でのライティングをきっかけに取材活動を開始。スポーツの取材やインタビュー記事を中心に執筆を続けている。

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