「短命で終わってもいい」 石毛宏典が「黄金時代の最強の年」と語る西武を支えた渡辺智男は投球フォームにこだわっていた (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

――投球フォームといえば、石毛さんは渡辺久信さんに対して、「左足を踏み込んでいく時に、セカンド側に右腕をポーンと下ろしてからピュッと上げるような感じ。完成されたフォームという印象を入団時から持っていた」と話されていました。渡辺久信さんは大きな故障をせずに長年投げていましたし、石毛さんの投球フォーム評は鋭いですね。

石毛 投球フォームに対して科学的な見識があるわけではないですし、たまたまですよ。でも、バッター目線の意見みたいなものが、ピッチャーにとっていいヒントになることもあるのかもしれません。

――渡辺智男さんの話に戻しますが、現役生活は通算8年。1994年にはダイエーに移籍し、再起をかけてサイドスローへ転向するなど試行錯誤していましたが、結果にはつながりませんでした。

石毛 もう少し長く投げていた印象があるのですが、振り返ってみると、西武で合計6年しかやっていないんですね(1989年~1993年まで西武、1994年~1997年までダイエーに在籍。1997年オフに金銭トレードで西武に復帰するも1998年限りで現役引退)。でも、一軍で先発ローテーションに入る時期があったわけですから、ある面では成功者じゃないですか。

 プロになれても、一軍に1度も上がれずに辞めていく選手も多くいる中で、短命であろうが一軍で活躍できた、世に自分をお披露目して知らしめることができたというのは、よかったんじゃないかなと。

 投球フォームを変えてしまっていたら、バッター目線でのボールの見え方が違ったりして、打ちやすくなっていた可能性もある。あの投球フォームだからこそ、審判員が「西武のピッチャーの中で一番すごい」と言うほど伸びのある球が投げられたのかもしれません。全盛期のピッチングは見事でしたし、記憶に残るピッチャーだったと思いますよ。

【プロフィール】

石毛宏典(いしげ・ひろみち)

1956年 9月22日生まれ、千葉県出身。駒澤大学、プリンスホテルを経て1980年ドラフト1位で西武に入団。黄金時代のチームリーダーとして活躍する。1994年にFA権を行使してダイエーに移籍。1996年限りで引退し、ダイエーの2軍監督、オリックスの監督を歴任する。2004年には独立リーグの四国アイランドリーグを創設。同リーグコミッショナーを経て、2008年より四国・九州アイランド リーグの「愛媛マンダリンパイレーツ」のシニア・チームアドバイザーを務めた。そのほか、指導者やプロ野球解説者など幅広く活躍している。

◆石毛宏典さん公式YouTubeチャンネル
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プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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