岩隈久志がメジャーで感じた「文化の違い」と少年野球の指導者として大切にしていること (2ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文text by Shiratori Junichi

 現地時間7月2日のオリオールズ戦でメジャー初先発を果たし、4回に逆転の3ランを許したが5回3失点。その後も先発投手として起用され、シーズンの後半戦だけで8勝(シーズン合計9勝)を挙げた。

「日本でプレーしている時は、心のどこかに『ケガが治れば、すぐにまた先発ローテに入れてもらえるだろう』という安心感がありましたけど、メジャーリーグでは結果が出ないとすぐに解雇されてしまう。先発ローテを必死に勝ち取ったり、『このポジションを渡したくない』という思いで投げたりと、すばらしい経験ができました」

 その後、6年で3度二桁勝利を挙げるなどマリナーズの主軸投手として活躍し、2013年にはダルビッシュ有(当時レンジャーズ/現パドレス)と共にオールスターゲームに選出。そして、日本の多くのファンも歓喜したのが、2015年8月13日のオリオールズ戦で達成した自身初のノーヒットノーランだ。

「実は、あの日はボールが荒れていて、あまり調子はよくなかったんです。でも逆に、そのおかげで相手バッターに球種を絞られずに済みましたし、チームメイトも必死に守ってくれた。さまざまな要素が重なり合わないと実現しないことですから、ものすごくうれしかったです」

【日本球界に復帰。巨人でのリハビリ生活】

 日米通算170勝の白星を積み重ね、37歳で迎えた2018年のシーズンオフ、岩隈は「現役最後の日を迎える瞬間まで全力を尽くしたい」という思いで、日本球界への復帰を決断。移籍を決意したのは、「組織面や選手間の人間関係など、さまざまなところに伝統の重みを感じた」という巨人だった。

「メジャー行きの前にプレーしていたパ・リーグの2球団とは異なる、"大人の雰囲気"が漂うチームでした。たくさんのファンが応援してくださる人気球団で過ごしたこの2年間も有意義でした。1軍で活躍できたら、より大きな反響があるんでしょうね」

 前年に右肩を手術した岩隈の日本球界復帰1年目は、リハビリからスタートした。そんな日々は、「若手選手と一緒に汗を流しながら一軍を目指して過ごした日々は、僕の人生の中でかけがえのないものだった」という。神奈川の川崎市にあるジャイアンツ球場を訪れる熱心なファンもおり、復帰を目指して調整を続けていたが......。

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