岩隈久志が語る近鉄消滅後に楽天を選んだ理由「人として育ててもらった」仙台での思い出 (3ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文text by Shiratori Junichi

【新球団・楽天での苦しい時期に得たもの】

 球界再編に関するニュースは連日大きく報じられ、さらなる球団合併や1リーグ制移行に向けた議論、選手会によるストライキが実施されるなど、グラウンド内外で不安に苛まれる日々を過ごすことになった。

「僕も最初の頃はメンタル面で追い詰められて、食事がのどを通らない時もありましたね。でも、結局はプレーで頑張ることしかできないことに気がついて、徐々に気持ちは落ち着いていきました」

 騒動の荒波に巻き込まれながら、覚悟を持ってマウンドに上がり続けた岩隈は、この年に15勝を挙げる活躍。最多勝と最優秀投手のタイトルを獲得したが、球団が置かれた状況は好転せず、近鉄はオリックスとの合併という形で55年の歴史に幕を下ろすことになった。

 その後、岩隈は「新しい気持ちでやりたい」という意向もあり、翌2005年からNPBへの新規参入が認められた楽天に入団。ロッテとの開幕戦(千葉マリンスタジアム)で先発登板し、球団初となる公式戦での白星を掴んだ。

「最初は『100敗するんじゃないか』と言われていた"寄せ集め"のチームで、施設面なども整わない中でスタートを切りましたが、みんなで力を合わせて、公式戦の1試合目で勝てたことはすごくうれしかったです」

 新天地で幸先のいいスタートを切った岩隈だが、チームは最下位に低迷。岩隈は規定投球回にこそ到達したものの、シーズン途中に右肩を故障した影響もあって9勝15敗の成績にとどまった。

 翌年は右肩の故障に加えて、2段モーションの禁止に伴う投球フォームの見直しを強いられたこともあり、わずか1勝。さらに2007年は、度重なる戦線離脱で前半戦を棒に振る(5勝5敗)など、納得のいかないシーズンを過ごした。

「自分自身と向き合いながらトレーニングを続けていくしかなかった日々は、大変なこともたくさんありました。でも、僕が思うように投げられない時にも、家族やたくさんのファンのみなさんが、変わらずに僕のことを応援してくれて......。『感謝の気持ちを持ってプレーしないといけない』と思うようになりましたし、野球に対する考え方を深めるきっかけにもなりました。今となっては、すべてを含めていい経験になったと思います」

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