岩隈久志が語る近鉄消滅後に楽天を選んだ理由「人として育ててもらった」仙台での思い出 (2ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文text by Shiratori Junichi

 野球の"正しい技術"を身につけるために必要な要素として岩隈が子どもたちに伝えているのは、「しっかり自分自身の考えを持つ大切さ」だ。

「野球に限ったことではありませんが、まずは自分のことを知り、しっかりとした考えを持つことが大切だと思っていて、『それができない限りはどこに行っても通用しない』と日頃から伝えています。子どもたちが直面するさまざまな課題を克服するためには自分で考えることが大切ですし、さらに上のレベルでプレーすることになった時も、きっと役に立つと思うんです」

【プロの世界での試行錯誤の日々】

 実際にプロ入り後の岩隈は、さまざまなことを考えながらマウンドに上がっていたという。

 1999年のドラフト5位で近鉄に入団。「『最初の3年間は"陸上部"だ』とも言われていましたが、まずは身体を作りながらプロの技術をしっかり学ぼうと思っていた」という岩隈は、プロ入り2年目に初勝利を挙げると、シーズン終盤に先発ローテーションの一角に定着。4勝(2敗)を挙げて、近鉄のパ・リーグ優勝に貢献した。

「プロの世界に入ってから、それまで自分が技術面で教わってきたことが少ないことに気づきまして......。学生時代は『常に正々堂々と逃げずに勝負する』といった精神的な部分が強調される一方で、速いボールの投げ方や、試合状況に応じた判断力などを十分に培うことはできませんでした。プロ入り後、コーチたちに教えを受けることで、より成長することができました」

 リーグを制した翌年の2002年に8勝、2003年に15勝を挙げた岩隈は近鉄のエースに成長。チーム内で存在感を高めていったが、それまでには多くの"トライ&エラー"があったという。

「僕がプロに入った時に感じた一軍選手のレベルや技術は、入団前に想定していたよりもはるかに高いものだったので、自分が持っているものをすべてぶつけながら勝負して、試行錯誤を繰り返す日々でした。

 西武の松井稼頭央さん(現・西武監督)などには『何を投げても打たれてしまう......』と思っていましたが、結果が出ない時も『次の対戦ではどうすれば抑えられるだろうか?』など、さまざまなことを考えながら試合に臨んでいました。若いうちに1軍で投げた経験や学んだことは、子どもたちを指導する上でも役に立っていると思います」

 2004年に初めて開幕戦のマウンドを任された岩隈は、順調に白星を積み重ねて開幕から12連勝。当時の「開幕投手の連勝の日本記録」に迫る活躍を見せていたが、同年6月に近鉄とオリックスとの球団合併構想が明らかになり、突如として暗雲が垂れ込める。

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