江川卓「怪物伝説」の始まり 作新学院入学直後に竹バットで柵越え連発 「中学を出たての1年生があそこまで飛ばせるのは...」 (5ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 狩野はのちに前橋工業の監督を務め、渡辺久信(現・西武GM)を育てるなど、数多くのピッチャーを見ているが、やはり江川の球の伸び、キレはダントツで一番だと断言する。「見えない」「当たらない」。そんな途方もない球を見て、監督以下選手たちもノーヒット・ノーランをやられると、正直思っていた。

 だが試合は、5回の作新の攻撃で江川が頭部に死球を喰らって退場し、前橋工業が2対1で勝利。江川は1年夏につづき、またしても甲子園に届かなかった。しかし高校2年になると、江川伝説は今まで見たこともないような記録とともに、さらに加速していくのだった。

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江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

プロフィール

  • 松永多佳倫

    松永多佳倫 (まつなが・たかりん)

    1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。

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