大谷翔平との投げ合いで始まった斎藤佑樹のプロ4年目 投げられない時にたどり着いた境地 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 初球、右バッターのアウトローに投げて、バットがピクリとも動かない。これでワンストライクをとる。2球目は懐を抉るシュートを投げておいて、平行カウントからの3球目、タイミングを外す変化球をポンと投げる......目指していたのはそんなピッチングでした。

 実際、あの紅白戦ではバッターをギリギリまで見ながら、内へ外へ、ポンポンと投げ分けることができていました。(中田)翔にインコースのストレートをレフトスタンドへ運ばれて1点をとられてしまいましたが、リズミカルなピッチングができたという印象です。

 その前の年、ほぼワンシーズンを通して一軍で投げられなかったことを思えば、こうして試合でバッターに投げながら、ピンチで何を投げようかと考えることさえも楽しかったし、高まる気持ちを抑えるのに必死なくらいでした。栗山監督からは「今まで無意識にできていたことが、意識してできるようになってきた」と言っていただきました。

【野球やるのをあきらめた】

 思えばあの年のキャンプ中盤、名護から国頭(二軍のキャンプ地)へ行った時、そこでネットスローをしたら、1年前のことを思い出してしまって......よくここまで投げられるようになったなと思いました。あの時は塁間すら投げられませんでしたし、恥ずかしい話、ホテルの部屋に戻って泣いてしまったこともありました。そのうち何とかなると思っていたのが、いつまでたっても投げられなくて、「ホント、これ、どうしよう」って、だんだん怖くなってきたんです。

 じつはその時、ふと野球やるのをあきらめたことがありました。あきらめてしまうとこれが簡単なもので、そもそも野球をやりたいと思っていたから苦しかったんです。でも、今年はもう野球はできない、リハビリの年にしよう、どうせならフォームもしっかり見直そうってハラを括った途端、ラクになりました。あきらめたら、焦らなくなった。あきらめるって、大事なことなんだなと思いましたね。あきらめるってことが意外な力をもたらしてくれたんです。

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