カープの若手を鍛えたノックの名手はなぜ鬼コーチに? 玉木朋孝が語る日本と台湾の野球の違い (3ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke

 玉木は台湾のプロ野球をベンチから見て、驚かされるプレーが少なくなかった。たとえば外野に長打が飛んだ際、カットに入る場所が正しくない内野手が少なからずいる。内野コーチが指摘すべきだが、ベンチにいなくて見ていないこともあった。

 また二盗された際、ふだんは膝を着けたままセカンドにスローイングする捕手が、イニング間の投球練習では立ってから投げていた。本来、試合中と同じように膝を着いたまま投げるべきだが、バッテリーコーチは目を離していて何も言わなかった。

 台湾人にはこうした"緩い"コーチも少なくなく、玉木が"鬼"になって各種のアドバイスをしているという。

「日本のように細かい野球ができていないので、気づいたことを伝えています。日頃の練習から高い意識を持って野球をやってほしい。そうしないと勝てません。『こういうことが大事なんだよ』というものをもっと教えてあげたいです」

 今季、統一は前期優勝を果たした。守備コーチの玉木は一緒にビールかけをして祝した。後期終了後のプレーオフで敗れて台湾シリーズ進出はできなかったものの、一定の成果を残せたと言えるだろう。

 玉木は渡台1年目で"鬼"として指導してきた手腕が評価され、シーズン終了を待たずに、2025年まで2年の契約延長が発表された。玉木によれば、監督やヘッドコーチが球団上層部にかけ合ってくれて決定したという。

「自分が異国の地でコーチとしてどこまでやれるのか、チャレンジです。野球がとにかく好きで、真摯にやってきました。そうしてチームに評価をいただいた以上、このチームをなんとか勝たせたい」

 来年から、肩書きを守備コーチから総合コーチに変えてもらうという。つまり、目を配り、口を出す範囲が広がるわけだ。役割の変更は、球団の評価や期待を何より表わしていると言えるだろう。

 言葉が通じない異国で、日本で磨き上げた野球をどのように伝えていくか。今後も玉木はより厳しく、細かく指導していくつもりだ。


玉木朋孝(たまき・ともたか)/1975年6月13日、東京都生まれ。修徳高では高橋尚成らとともに3年夏の甲子園に出場。93年のドラフトで広島から3位指名を受けて入団。二軍生活が長く、99年に一軍初出場を果たすも結果を残せず、翌年自由契約となりオリックスに入団。おもに代走、守備固めとして存在感を発揮。05年に現役を引退し、広島のスコアラー、コーチを歴任。「ノックの名手」として多くの選手を育ててきた。23年に台湾プロ野球の統一ライオンズのコーチに就任した

プロフィール

  • 中島大輔

    中島大輔 (なかじま・だいすけ)

    2005年から英国で4年間、当時セルティックの中村俊輔を密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『山本由伸 常識を変える投球術』。『中南米野球はなぜ強いのか』で第28回ミズノスポーツライター賞の優秀賞。内海哲也『プライド 史上4人目、連続最多勝左腕のマウンド人生』では構成を担当。

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