山田久志が若手の松永浩美に「お前、勘違いしてないか?」 その後の野球人生を変えた言葉の真意とは? (4ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

――阪急の身売りを知った時、山田さんはどんな反応でしたか?

松永 あれは、確か1988年10月19日だったのですが、私たちは練習日でした。球場のロッカーに行ったらすごくザワついてて、球場の外にはいつもと違って車が多かった。そのうち、誰かが「身売りらしいですよ」と言ったので、私は「ロッテが?」と聞いたんです。そうしたら「うちですよ」と言うもんだから「はっ⁉」となって。

 周囲を見たら、山田さんと福本豊さんの姿がなかった。監督室に行って、阪急の身売りの話を聞いているとのことで、ロッカーに戻ってきた山田さんたちに「身売りなんですか?」と聞くと、山田さんは肩をがっくりと落としていて......。あぁ、本当なんだなと察しました。

 近鉄とロッテが「10.19」で劇的な試合をやっている日の発表でしたし、そういう試合に水を差すようなタイミングで、「なんでこの時期なんだ」という思いもありました。信じられなかったですね。

――阪急の"顔"だった山田さん、福本さんの現役最後の試合も、阪急の最後の試合と重なったんですね。

松永 そうですね。ただ、チームが弱くて、状態がガタガタになったから身売りしたというわけではなく、強い阪急のままで終われた。それは、今思えばよかったのかなと思います。

(後編:山田が清原和博を「痛めつけていた」理由 一方で松永は、阪急の大エースに「頭付き事件」を起こしていた>>)

【プロフィール】
松永浩美(まつなが・ひろみ)

1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。

◆松永浩美さんのYouTubeチャンネル「松永浩美チャンネル」

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プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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