松田宣浩が明かす「40歳まで現役」にこだわり続けたワケ「約束を守れてよかった」 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

 松田は引退記者会見で「40歳まで現役でプレーするという一番の目標はクリアさせてもらった」と語ったように、さまざまなインタビューで「40歳」という年齢への思いを吐露している。なぜ「40歳」にこだわったのか、あらためて聞いてみた。

「若い時、たくさんノックを打ってくださった森脇(浩司)コーチがよく言っていたんです。『息の長い選手になるぞ!』『40歳までやるぞ!』って。それから『40歳』という数字がずっと頭から離れなくて、若い時から目標になっていました。39歳でやめたら一生後悔すると思ったので、40歳で引退すると逆算してトレーニングしていました」

 仮に今季、一軍で活躍していたとしても、「やめると決めていた」と松田は断言する。松田にとって40歳という数字は、残り168本に迫っていた通算2000本安打よりも重い意味を持っていた。現役引退を決めた後、松田は森脇に電話して「1年目のキャンプにした森脇さんとの約束を守れてよかったです」と感謝を伝えたという。

【一軍だろうと二軍だろうと関係ない】

 松田の現役生活を振り返るうえで、どうしても忘れられない光景がある。球場から歓声が消えたコロナ禍でのシーズン中。福岡PayPayドームでのソフトバンク戦を取材に行った時、三塁キャンバスから松田の叫び声が場内に響き渡っていた。

 日常が沈鬱なムードに覆われるなか、松田の元気はひとりの野球ファンとして救いに感じられた。本人はどんな思いでプレーしていたのか聞いてみると、松田はさも当然といった風情でこう答えた。

「声はいつも出していましたから。無観客だろうと変わらず出していたので、たまたま(鳴り物)応援がなかったから目立っただけじゃないですか」

 応援の有無や、一軍と二軍の環境によって、テンションが左右される選手も多いと聞く。そんな話題を向けると、松田はインタビュー中でもっとも憮然とした口調で持論を語った。

「そこは僕のなかでずっと持っている、ハテナマーク(?)なんですけど。僕は一軍だろうと二軍だろうと、野球は野球だと考えているんです。逆に聞いてみたいです。二軍だから手を抜くという人が、結果を残せるのかって」

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