清原和博はデストラーデにヤキモチ 石毛宏典が明かす西武「AKD砲」のライバル関係 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

【6番を打っていた頃の石毛は「必死だった」】

――秋山さん、清原さんがよく出塁することもあって、デストラーデさんは打点を稼いでいましたね。1990年、91年と2年連続で打点王に輝いています。

石毛 そういえば、秋山か......キヨだったかな?「お前が打点をたくさん挙げられているのは、俺たちが歩かされるからだ。いいとこ取りしやがって」みたいなことを冗談で言っていました(笑)。オーレ自身も選球眼がよくて、フォアボールもすごく多かったですけどね。ただ、敬遠はあまりなかったような気がします。

――それは、6番に勝負強い石毛さんが控えていたからじゃないですか?
 
石毛 そういう時代もありました(笑)。自分にもチャンスでまわってくることが多かったので、ランナーを還すのに必死でしたよ。

――当時の西武は足や小技を絡めた隙のない野球をしていましたが、デストラーデさんはすぐにフィットしましたか?

石毛 オーレは賢かったから、「 郷に入っては郷に従え」というように、すぐに「このチームはこういう野球をするんだろう」と理解できたんじゃないかな。西武はクリーンナップの秋山も含めて、どの選手も細かいことができたし、役割分担も明確でした。キヨだけは、ある程度自由に打たせていたと思いますが、そこにオーレのような長距離砲が1枚加わって、得点能力がかなり上がっていきましたね。

――AKD砲の後に6番を打つのは必死だったとのことですが、石毛さんが打ちたかった打順はあったんですか?

石毛 一番いいのはクリーンナップじゃないかな。細かいことをしなくてもいいし、打つだけでいいので(笑)。ただ、僕も多少は足に自信があったし、タイプ的には3番だったかもしれませんね。

 オーレが入団した頃は1番を打っていた時期もありましたけど、やっぱり打ちたかったのはクリーンナップかな。3番や5番は打ったことがありますが、4番だけは1度もないんです。1回は打ってみたかったですね。

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