ヤクルト奥川恭伸は来季、完全復活なるか 22球に込めた思いと手応え「やりたいと思っていることの70%くらいはできた」 (4ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

野球教室で笑顔を見せる奥川恭伸 photo by Shimamura Seiya野球教室で笑顔を見せる奥川恭伸 photo by Shimamura Seiyaこの記事に関連する写真を見る

【投げて終われて本当によかった】

 翌日の第2クール最終日にも、参加メンバーのなかに奥川の名前はあった。練習はアップに始まり、約20分のキャッチボール、守備練習、コンディショニング、ポール間走など、チームメニューを消化。午後は個別練習のあと野球教室にも参加して、子どもたちとの交流を楽しんだ。

「昨日は久しぶりの実戦で、しかも3イニングでしたので体の張りはありますけど、大丈夫だと思います。キャンプは最終クールに入りますが、トレーニングやランニングを継続して、ブルペンにも入ると思うので、そこでしっかり投げて終わりという感じですね」

 12月から始まるオフは「下半身の安定感というところと、上半身のモビリティ(筋肉の柔軟性と関節が動く範囲の広さ)に時間を費やしたい」と、自分のやりたいことの残り30%を埋めていくつもりだ。

 前進しては後退し、また前進しては後退......それでも最後に前進して終われた1年について聞くと、こんな答えが返ってきた。

「途中、足首の余計なケガとかもありましたし、今年も苦しかったんですけど、この2年間しっかり苦しんだ分......自分のためにも、いろいろ力を貸してくれた方たちのためにも、来年こそ投げないといけないですし、その覚悟を持って取り組みたいと思っています」

 そして奥川は「今年、このまま投げずに終わってしまったら来年も不安が残っていたと思うので、投げて終われて本当によかったです」と言った。

「来年は自分ができることをして、1年間離脱なしでシーズンを過ごし、そこにしっかりとした成績がついてきてくれたらと思っています。ただ、そこはやってみないとわからないことなので、まずは1年間しっかり完走することが目標です」

 この「2年間の苦しみ」を解放できるのは奥川自身にしかできないことで、完全復活へ向け着々と準備は進められている。

プロフィール

  • 島村誠也

    島村誠也 (しまむら・せいや)

    1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。

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