なぜ1992年の阪神投手陣は劇的に飛躍したのか 元阪神コーチ・有田修三が衝撃の告白 (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

【防御率は4点台から2点台へ】

 中村監督が就任した90年から、阪神は2年連続最下位に終わり、チーム防御率も2年連続でリーグワースト。この投手陣を再建すべく、投手コーチの大石が各投手の心技体を向上させていく一方、有田は作戦面を担当。対戦相手のデータをすべて見て分析し、打者一人ひとりの攻め方などをミーティングでバッテリーに伝えていた。これも阪神では前例がないことだった。

「3連戦の頭にやる全体ミーティングとか、次の日になったら前の日のビデオを見るとか、そんなのはどこでもあるよ。でも、個人で細かくやるのは阪神にはなかった。試合前の練習終わったら先発ピッチャーとキャッチャーを集めて、今日はどういうやり方でどうやって攻めるか、というのを細かくやった。ワシが初めてやるから、目新しいというか、新鮮さがあったんやろね。

 嫌がるヤツはひとりもおらんかった。逆にみんな『やりましょう』って言ってくる。練習終わってちょっと時間空いたら、『今日はやらないんですか?』って言ってくる。普通は、嫌がるヤツがおんねん。それがひとりもいないって珍しい。だから92年はピッチャーがよくなったんだと思う。大石さんの指導もあって、実際、ピッチャーだけはめちゃくちゃよかった」

 数字を挙げれば、92年の阪神のチーム防御率は2.90でリーグ1位。前年はリーグ唯一の防御率4点台だったのが、唯一の2点台へと一気に好転した。もちろん各投手の素材のよさがあればこそだが、投手コーチとバッテリーコーチによって潜在能力が引き出された面もあるはず。そのうえで、ベンチからのサインが生かされたと言えそうだ。

「だけどプレッシャーかかるで、ベンチからサイン出すとなったら。それで面白かったのがチーフコーチの石井晶さん。横に座っとって、ピッチャーが追い込んだ時。『アリ、これフォークいったら打てへんぞ』って言うから、『そうすか。じゃあ、フォークいきますよ』って言ったら、『いやいやいや』って(笑)。責任とらないかんから、そんなもんね、チビるよ」

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(=敬称略)

有田修三(ありた・しゅうぞう)/1951年9月27日、山口県生まれ。宇部商から新日鉄八幡を経て、72年ドラフト2位で近鉄に入団。75年に正捕手となり、同年から2年連続してダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を獲得。86年トレードで巨人に移籍。88年には移籍後初となる2ケタ本塁打を記録し、カムバック賞を受賞した。90年ダイエーに移籍し、一軍バッテリーコーチ補佐を兼務していたが、91年に現役を引退した。引退後は阪神、近鉄でコーチを務めた

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プロフィール

  • 高橋安幸

    高橋安幸 (たかはし・やすゆき)

    1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など

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