中学時代0本塁打の鵜久森淳志はプロに注目されるため高校でホームランバッターへと変身し、日本ハム入団を果たした (3ページ目)

  • 元永知宏●文 text by Motonaga Tomohiro

── 2006年4月に代打で一軍デビュー。2007年、イースタン・リーグで打率2割8分6厘、10本塁打、46打点をマークしても、一軍に定着することはできませんでした。2008年の一軍出場は11試合だけ。2009年はイースタン・リーグで20本塁打(リーグ2位)を放つも、一軍でプレーする機会はなし。この間、年俸はほぼ横ばいでしたね(入団時480万円→500万円)。2010年は一軍で23試合に出場してヒットは10本。2011年は42試合出場で15安打に終わりました。

鵜久森 同期入団のダルビッシュは、もうスーパースターになっていました。僕が一軍に上がった時にはご飯に誘ってくれました。「聞きたいことがあったら聞いたら?」という感じで、埼玉西武ライオンズの中島宏之さんとの会食をセッティングしてくれたこともありました。ダルビッシュの優しさを感じましたね。

【二軍で活躍しても年俸は上がらない】

── 鵜久森さんがプロ野球選手になったと実感できたのはいつですか。

鵜久森 一軍で初ホームラン(2011年)を打った時ですね。僕はプロ5年目の2009年に二軍で20本ホームランを打ったんですけど、後輩の中田翔(現・巨人)は30本塁打しています。下でどれだけいい成績を残しても、年俸は上がりません。やっぱり一軍で活躍しないと。

── 期待されながら一軍に定着できないことに対してどんな気持ちでいましたか。

鵜久森 自分でも歯がゆさを感じていました。プロに入る時には、いずれは1億円プレーヤーになりたい、打撃タイトルを獲りたいと思ったものですが、現実は厳しかったですね。

── 2012年、鵜久森さんは37打席に立ち、4本塁打を放ちましたが、打率は2割1分9厘。レギュラーポジションは遠かったですね。

鵜久森 ピッチャーで入団した糸井嘉男さんが外野手に転向したり、FAで稲葉篤紀さんが移籍してきたり。すごい選手が加わることで、自分の居場所がなくなっていきました。せめてチームの一員として、戦力になりたかった。たとえ代打の一打席であっても、自分の力を出せればと思っていました。

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