谷佳知が「近鉄との合併はみんな嫌だった」と振り返る04年球界再編 原・巨人には「喜んで移籍しました」 (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── これまで大物選手が何人も巨人に移籍しましたが、ファンの大きな期待もありプレッシャーに悩まされる方もいました。しかし谷さんは、2007年に172安打を放ち、チームトップの打率.318をマーク。2年連続Bクラスに沈んでいた巨人は、谷さんの加入から3連覇を果たしました。

 ある程度、実績があっての移籍だったので「活躍して当たり前」というプレッシャーはもちろんありました。ただ、右足の故障もよくなりつつあったので、自分としてはいい状態で試合に臨めました。巨人は野球をやる環境が最高にいいです。それは、伝統的にスタッフを含め全員が「優勝を狙う」という同じ方向を向いているからです。これはスポーツ紙記者も取材をしていて顕著に感じるそうです。それにしても、長いペナントレースを1年間戦ってきて、「落としてはいけない試合」を勝ちきって優勝するということは、格別の思いがありましたね。

── 2009年には自身初となる日本一も経験されました。

 もともとオリックスを逆指名したのも優勝したかったからです。オリックスでの10年間、惜しい時(97年2位)もありましたが、巨人で初めて"優勝の美酒"に酔いました。野球の楽しさが一気に変わりましたね。やはり「優勝はするものなんだな」と、あらためて実感しました。優勝をかけた試合で打席に立つことは、プレッシャーはかかりますが、自分を成長させてくれます。

── 高橋由伸さん、アレックス・ラミレスさん、長野久義選手と、外野手のライバルも多く存在しました。

 それはプロ野球に限らず、どこ世界でも競争です。とくにどの選手がライバルという意識はありませんでした。少々の故障では負けまいと、試合に出続けました。

【通算2000安打に72本届かず引退】

── 巨人に7年在籍し、その後、再びオリックスで2年間プレーしました。通算2000安打まで残り72本でしたが、41歳で現役引退。現役19年のプロ野球人生で一番うれしかったことは何ですか?

 通算2000安打はひとつの目標にしていたので達成したかったですが、野球は実力勝負の世界ですから。ただ、古巣・オリックスでプロ野球人生を終われたことは、本当によかった。思えば、幼い頃からプロ野球選手になるのが夢だったので、一番うれしかったのは"プロ初打席"です。97年5月11日の近鉄戦に8番・センターで出場し、小池秀郎投手からセンターフライだったのですが、やっとプロになれたと......うれしかったですね。

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