和田豊が今も悔やむ92年のタイガース「亀山も新庄も優勝争いの重圧でガッチガチ。僕らがもっと鼓舞できていれば...」 (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

 ただ、「ピッチャーがいい」というなかにあって、田村勤が左ヒジを故障して7月に離脱。24試合に登板して5勝1敗、14セーブ。41回を投げて防御率1.10と絶対的な数字を残していただけに、いかに痛手は大きかったか。

「後半戦も田村がいたら、断トツで優勝していたんだろうけど、いなくなって、みんなでやりくりして頑張った。でも、あまりにも絶対的すぎたから、彼が抜けた影響は大きかったし、精神的なところでも『うわぁ大変だ』っていう影響はたしかにありました。だから、そこを打線でカバーできればよかったけど......」

 抑えを欠いたあとに7連敗。今年もダメか......という声も周りで聞こえ始めたが、野田の復活もあって先発陣は健在。8月の長期ロードも10年ぶりに勝ち越し、優勝を狙える位置にいた。そうして9月、八木の"幻のサヨナラ本塁打"で延長15回引き分け、史上最長6時間26分に及ぶヤクルトとの死闘も乗り越えたなかで首位に立って、同19日に7連勝。25日のマジック点灯も見えていた。

「7連勝して、残り半分勝てば優勝だったんですけど、最後のロードに出ている時にマイク(仲田幸司)がね、風邪ひいたか何かで投げられなくなって......。監督、ピッチングコーチは大変だったと思います。終盤だから、いろんなことが起こるんで仕方ないんだけど、それで違うところに負担がいって、ガタガタっとなってしまって」

【一瞬のチャンスで人生は変わる】

 17泊18日という秋の長期ロード。その間の13試合を3勝10敗と大きく負け越した阪神は、10月10日、甲子園に戻ってのヤクルト戦で敗れ、優勝を逃した。年間通して好調だった投手陣に誤算もあったとはいえ、負けが込み出した時のチームはどんな雰囲気だったのか。

「残り5試合で本当の佳境になった時、若い選手、カメも新庄も今までの勢いがなくなって、大人しくなってガッチガチでした。世間は『優勝だ!』って盛り上がっていて、こんな状況で野球をしたことがない。それがやりがいよりも重圧になってしまった、というところですよね。そこを僕ら経験者がほぐそうとするんだけど、そう簡単ではなかったです。

 遠征先で食事に行けば『明日から行きましょう!』『そうだ! ワイワイやりましょう』って威勢がいい。でも、ユニフォームを着ると構えてしまう。結局、本当の力がないのに優勝争いしてましたから、重圧を跳ね返す精神力もなかったわけです。だからこそ、我々がグラウンド上で彼らをもっと鼓舞できていればって思うし、今でもその悔しさは残ってます」

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