和田豊が今も悔やむ92年のタイガース「亀山も新庄も優勝争いの重圧でガッチガチ。僕らがもっと鼓舞できていれば...」 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

 前半戦は3割を打ち、オールスター出場も果たした和田だったが、8月以降の調子が今ひとつでキープできなかった。チームの得点数475はリーグ6位で、トップのヤクルトが599だから、100以上も開きがある。甲子園球場のラッキーゾーンが撤去された影響もあってか、チーム本塁打も前年リーグ4位の111本から6位の86本と減少し、破壊力もなかった。

「ただ、カメと新庄がね、ふたりともその年に3割打ったわけではないんだけど、数字以上の活躍ぶりでしたから。彼らふたりがその年のチームを引っ張っていたのは間違いないんで」

 プロ5年目の亀山は開幕時から俊足巧打で台頭し、3年目の新庄剛志は5月22日、オマリーが右手骨折のため離脱したことで昇格。長打力を秘める新庄はファームで4番を打ち、柏原純一二軍打撃コーチにマンツーマン指導を受けていた。そして、一軍で最初の試合となった5月26日の大洋(現・DeNA)戦。8番・サードでデビューすると、いきなり最高の結果を出す。

「2回の初打席、初球ですよ。ホームラン打ったんです。一軍に上がってきて、即。有働(克也)のカーブをね。その時、チームに新鮮な空気が流れたな、という気がしました。で、新庄、最初は内野を守っていたんだけど、フライは落とすし、うまくはなかった。だけど7月から外野に行ったら、本来の持ち場を得て、『こんなうまい外野手おるんか!』と驚くほどでした」

【タイガース史上屈指の外野陣】

 ラッキーゾーンが撤去され、広くなった甲子園の外野で、新庄、亀山、八木の3人がよく機能した。いずれも足があって守備範囲が広く、肩も強かった。

「その3人が守る時は間を抜ける気がしなかったです。センターの新庄が『外野の3分の2は僕が守ります』って言うぐらいの守備範囲を誇ってましたから、長打を打たれるケースが少ない。甲子園が広くなったから余計にピッチャーを助けていたと思うし、その守備には華やかさもあったので、スタンドのファンを巻き込んだようなところもありました。

 そういう意味では、僕がレギュラーとして守っている間では、いちばんの外野陣だったんじゃないかなと思います。しかも内野の守りもよくて、バッテリーを中心にセンターラインがしっかりしていた。だから、何度も言いますけど、ピッチャーがいい、守りもいい反面、打てなくて、点をとれなくて負けた、という印象が強く残っています」

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