広島・矢崎拓也「自分がやらかすことに飽き飽きした」入団から失意の5年を振り返る (4ページ目)

  • 前原淳●文 text by Maehara Jun
  • photo by Sankei Visual

── 当時、広島の飯田哲矢アナリストと配球面の話をして、変化球への意識が変わったように映りましたが。

矢崎 変化球を投げるにしても、「打たれたくない」とか「いいところに投げなきゃ」と思う気持ちが強すぎて、ボールになっていたんです。反対に、ボールになるのがイヤだと思って真ん中にいったり......。まずは自分が投げやすいフォームにして、打たれる覚悟を決めて投げにいくみたいなことを始めた感じですね。

── 抑えたいという気持ちを出すのではなく、やれることをやって結果は気にしなくなった?

矢崎 そうですね。たくさん失敗をしたので、その失敗の仕方さえ変われば違うステップの踏み方になるかなと思ったんです。"本当の自分というのを受け入れる""フォームは自分らしく、単純に"。野球を20年ぐらいやってきて、「そこまで変わらないだろう」ということを前提に置いていたところはあります。投げやすい投げ方が一番いいかなと。それでダメなら、そうなったあとに考えようかな......みたいな方針にしました。

── 結果を残したいと意識を向けなくなったことで、逆に結果が残るようになっていったと。

矢崎 そうですね。結果を求めずにやったのが昨年で、そのほうがいい結果になって......自分でも「へー、そんなもんなんだ」という思いがありました。

後編:想定外だったリリーフで躍進して感じたこと>>


矢崎拓也(やさき・たくや)/1994年12月31日生まれ、東京都出身。慶應義塾高から慶應大に進み、2016年ドラフト1位で広島に入団。17年4月7日のヤクルト戦でプロ初登板・初先発を果たし、9回一死までノーヒット・ノーランの好投を見せ、プロ初勝利をマーク。その後は勝ち星に恵まれず、22年に5年ぶりの勝利を挙げる。今季はキャリアハイの54試合に登板し、4勝2敗24セーブ

プロフィール

  • 前原 淳

    前原 淳 (まえはら・じゅん)

    1980年7月20日、福岡県生まれ。東福岡高から九州産業大卒業後、都内の編集プロダクションへて、07年広島県のスポーツ雑誌社に入社。広島東洋カープを中心に取材活動を行い、14年からフリーとなる。15年シーズンから日刊スポーツ・広島担当として広島東洋カープを取材。球団25年ぶり優勝から3連覇、黒田博樹の日米通算200勝や新井貴浩の2000安打を現場で取材した。雑誌社を含め、広島取材歴17年目も、常に新たな視点を心がけて足を使って情報を集める。トップアスリートが魅せる技や一瞬のひらめき、心の機微に迫り、グラウンドのリアルを追い求める

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る