1億円プレーヤーとなった館山昌平「お金は残らなかったけど、いい仲間が増えた」使い方 (3ページ目)

  • 元永知宏●文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Sankei Visual

【夢を与える商売だからいいクルマに乗る】

── 晴れて1億円プレーヤーになった館山さんですが、心境の変化はありましたか。

館山 契約書に、本当に1億円と書かれるんですよ。それまでとはケタが違います。半分以上は税金なんですけど、1億円プレーヤーになったことで『〇〇しないとな』という気持ちが生まれてきました。後輩が夢を持てるように、「いい家に住まないといけないないよな? じゃあ買うか」「夢を与える商売だからいいクルマに乗らないと」とか。

 自分たちの年齢が上がってから、僕と石川さんと青木宣親の3人で、後輩たちに対していいお金の使い方をしたんじゃないかな。みんなにいろいろな経験を積んでもらわないと、チームの未来につながらないなと思って。

── そう考えていても、実行するのは難しいと思うのですが。

館山 家庭が困らなければいい、くらいに思っていました。本当に仲間を大切にしていました。僕たちは、投手会もバンバンやりました。スタッフ全員にサングラスを配ったり、Tシャツをつくったり。僕と石川さんで神宮球場のシーズンシートを30席ずつ購入して、聾学校や盲学校の生徒さんを招待していました。僕たちが背伸びしてやったいろいろなことが、いつか生きてくると思います。お金はほとんど残らなかったけど、いい仲間が増えました。

── 高年俸を得ていると日本全国に知られることのデメリットはなかったんでしょうか。

館山 それはありましたよ。僕が稼いでいると思って、よからぬ人が近寄ってくることもありました。あまり親しくしたことのない先輩とか知り合いとか、何かのセールスの人とか。稼いでいると思われるかもしれないけど、税金を納めたらそんなに残ってないのに。普通に、バスにも電車にも乗りますからね。

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館山昌平(たてやま・しょうへい)/1981年3月17日、神奈川県生まれ。日大藤沢高では3年春にセンバツベスト4。日大に進学し、2002年ドラフト3位でヤクルトに入団。04年にトミー・ジョン手術を受け、1年間のリハビリを経て05年に復活。初の2ケタ勝利を挙げる。09年には16勝で最多勝のタイトルを獲得。13年シーズン途中にまたしてもトミー・ジョン手術を受け長期離脱。15年に復帰を果たし、チームの優勝に貢献するなどカムバック賞に輝いた。19年限りで現役を引退し、楽天の二軍投手コーチを2年間務め、22年から福島レッドホープスの投手チーフコーチに就任した。

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昭和のプロ野球では年俸1000万円がスーパースターの証だった。それが3000万円になり、1億に上がっていき、現在では、5億円以上の年俸を稼ぐプロ野球選手がいる。 

 しかし、プロ野球選手には寿命がある。どんなすばらしいスターも衰えとは無縁ではない。能力が年俸に見合わないと判断されればユニフォームを脱ぐことになる。そのときには当然、年俸はゼロになる。プロ野球以上に稼げる世界などどこにもない。 

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