石毛宏典が考える西武再建「自主性」は大切だが時代が変わっても変わらない「野球の基本がある」 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

――ティーチングも、強制力が強すぎるのはよくない?

石毛 私が若い頃は厳しい練習を強制的にやらされました。元来、人間は「休みたい」という感情が根底にある。だから厳しい練習を課されるとズル休みをしようとするのですが、「いいから来い!」と監督やコーチに引っ張られてヘロヘロになるまでやらされた。

「もうひとりの自分を見つけろ」と言われた時もありました。無意識に体が反応してバットが出るとか、守っている時も無意識に打球に反応するとか、そうなってこそ本物だと。練習は厳しいのですが、それを乗り越えていくことで技術や体力のキャパシティが広がっていくんです。そうなると、それまでつらかった練習が苦じゃなくなって当たり前になる。結果としてうまくなり、もっとうまくなりたいと欲が出てくる。それを繰り返すことで成長していくんです。

 強制されることで身についた技術の土台があった上で、それなりに試合も経験していくと、「じゃあ、今度はこうしてみよう」と創意工夫をするようになる。基礎ができて応用に向かうタイミングが、自主性に任せていい段階だと思います。

――ある程度の技術と経験が身についた段階での自主性はいいけれど、技術や経験の少ない段階では強制的な練習が必要だという考えでしょうか。

石毛 例えば1、2時間で500~1000本のノックなんて、今の若い選手たちからしたら「なぜ、非科学的な練習をしなきゃいけないんだ」と思う時代かもしれません。ただ、私たちは選手時代にそうやって鍛えられてきましたし、実際にいい結果が出たのでそれでよかったと思っています。

 今は練習にも科学的な根拠があって、「こういう練習、筋トレをすればいい」といったものがあると思いますし、私自身が現役時代にそういう体験をしていないので肯定も否定もできません。それは逆も言えますよね。今の若い選手たちが自分を徹底的に追い込む練習をした経験がないのであれば、僕らの感覚がわからないと思いますし、「昔の選手はそうやって鍛えられてきたんだ」と思う程度のことでしょう。

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