ベイスターズ史上最強助っ人、ロバート・ローズの日本での後悔「自分の仕事じゃないって放棄していた」 (4ページ目)

  • 村瀬秀信●文 text by Murase Hidenobu
  • photo by Sportiva

── つまり、ハマってしまったのですね。

ローズ 今では何度も僕に拒否されながら、根気よく説得してくれたリアンナたちに感謝しているよ(笑)。彼女たちの頑張りがなければ、僕がいま横浜にいることもなかったかもしれないからね。ただ、プレー以外のことで、ボビー・ローズという自分を出すということは本当に難しく感じる。たとえば僕がタイトルを獲った時の写真やトロフィーをポストすれば、ファンの人たちは喜んでくれるのかもしれない。だけど、そんなことをするのは、ボビー・ローズではないし、何より恥ずかしいじゃない。そのせめぎあいがね、ずっとあるんだよ。

【初操縦であわや大惨事のトラブル】

── デジタル発信が普通になっている今の選手との世代のギャップを感じます。しかし、苦手なことにも果敢に挑まれるのはすごいです。

ローズ ありがとう。さっきも言ったけど、何をするにも遅すぎるということはないんですよ。それは僕の母が教えてくれたこと。母は今年の夏、78歳で博士号をとったんです。びっくりしたよ。彼女の挑戦する姿勢は、僕に家のソファーでのんびりし続けることを許してくれなかった。だからというわけではないけど、僕も引退してから小型飛行機の免許をとったんです。

── 現役時代は大の飛行機嫌いで、遠征は駒田さんとともに新幹線移動が常だったローズさんが飛行機の免許ですか?

ローズ そうです。飛行機は僕にとって恐怖でしかなかった。だけど野球から引退し、その恐怖と対峙することがなくなったんですね。100マイルのボールで常にインコースを攻められていた現役時代は、常にゼロコンマの判断で、ヒーローにもなれば、選手生命を終わらせる大ケガを負う恐怖と戦う世界でした。僕はすべてのことを野球に集中し、それ以外の余計な恐怖は少しでも減らしたくて飛行機を避けるようにしていた。それが、引退して打席に立たなくなったことで人生から恐怖と対峙することがなくなった。なので、あれだけ恐いと思っていた飛行機と向き合ってみようと思い、小型飛行機のライセンスをとったんです。

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