清水直行が明かす日本一目前でも気を抜かなかったワケと2005年のロッテの強さの正体 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

 当時、剛やゴリ(今江敏晃の愛称)が「伸び伸びやらせてもらえたのは、先輩たちのおかげ」とコメントをしていたように、僕らもあまり後輩に対してどうこう言わなくなっていました。若手が先輩に遠慮せずにやれる環境ができつつある時代でしたね。

――プレーオフ、日本シリーズを制し、この年からスタートした交流戦でもロッテは初代王者になりました。短期決戦に強い印象がありましたが、何が要因だったと思いますか?

清水 ボビーの引き出しの多さです。日本シリーズでも毎試合スタメンや打順が違っていましたよね。選手のコンディションや調子の良し悪し、相手との相性など、さまざまなデータも踏まえてのことだと思いますが、ボビー自身が信じることを突き通すので、僕らはそれに従ってやるだけ。だから、「俺たちは短期決戦に強い」といった意識はまったくなかったですよ。

 短期決戦の強さは、決断力によるところが大きいと思います。決断が後手に回ると取り返しがつかなくなりますが、ボビーはそのあたりの決断が早い。もっと言えば、その時その時の決断ではなく、早くから決断の準備を整えていたのかもしれませんね。

――バレンタイン監督は、例えば小林雅さんが打たれても「自分とマサの間には信頼関係がある」といったように、選手への信頼を度々口にしていましたね。

清水 野球は団体スポーツですし、結局はそこなんじゃないかなと思います。いろいろなデータがあったり、サポートしてくれるコーチがいたりしますが、最後に決断するのは監督ですし、監督がそこにいる選手たちをどういう感情で送り出すのか。

 結果として、それがうまくいってもいかなくても、信頼関係は変わりません。ボビーは、「そういう選択をした監督の責任なんだから、思い切ってやってくれ。打たれても抑えても、君に対する信頼は変わらない」と、そういう話し方をしてくれるんです。やはりチームというものは、監督と選手の信頼関係が強くないとうまくいかないんだなと。ボビーとは6年間一緒に戦いましたが、それをすごく感じましたね。

(阪神・関本氏の証言5:2005年日本シリーズ完敗の要因を紐解く 痛感した短期決戦の怖さ>>)

【プロフィール】
清水直行(しみず・なおゆき)

1975年11月24日に京都府京都市に生まれ、兵庫県西宮市で育つ。社会人・東芝府中から、1999年のドラフトで逆指名によりロッテに入団。長く先発ローテーションの核として活躍した。日本代表としては2004年のアテネ五輪で銅メダルを獲得し、2006年の第1回WBC(ワールド・ベースボールクラシック)の優勝に貢献。2009年にトレードでDeNAに移籍し、2014年に現役を引退。通算成績は294試合登板105勝100敗。引退後はニュージーランドで野球連盟のGM補佐、ジュニア代表チームの監督を務めたほか、2019年には沖縄初のプロ球団「琉球ブルーオーシャンズ」の初代監督に就任した。

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