清水直行が明かす日本一目前でも気を抜かなかったワケと2005年のロッテの強さの正体 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

――その場面は、ソフトバンクとのプレーオフ第3戦が一瞬頭をよぎりましたか?(リーグ優勝に王手をかけて臨んだプレーオフ第3戦。4点リードの9回に小林雅が登板するも土壇場で追いつかれ、延長10回にサヨナラ負け)

清水 よぎりましたよ(笑)。ただ、僕らはあのプレーオフ第3戦でソフトバンクにひっくり返されたことで、"免疫"がついたんです。なので、ドキッとはしましたが、僕らにとってはそれほどきつくなかったですね。

――無死一塁となって甲子園は沸きましたが、続く矢野さんの送りバントがサードの今江敏晃さんへの小フライとなって、飛び出していたランナーも刺してダブルプレーになりました。

清水 大きかったですね。ただ、それでも「これでいける」という気持ちにはならなかった。このとき、全選手がベンチに座ったままだったはずです。あとひとり、あと一球で日本一が決まる場面ともなれば、前のめりになったり、総立ちになっていてもおかしくはないのですが。

――それもやはり、ソフトバンクとのプレーオフの影響ですか?

清水 そうなんです。プレーオフ第3戦で4点リードして最終回を迎えた時は、みんなけっこう前のめりになって飛び出す準備をしていましたから。ただ、4点差をひっくり返された時、「やっぱり野球は9回3アウトを取るまでわからないな」と痛感させられたんです。

 だから、この日本シリーズの最後もそうですし、リーグ優勝を決めたプレーオフ第5戦の最後の局面でもみんな座っていたはず。アウトのコールがあってから、みんなで飛び出してワーッと騒いだと思います。終わってみれば「日本シリーズを楽しめた。勝ててよかった」という気持ちになりましたが、最後の最後まで気を抜けなかったことはよく覚えています。

【ボビー・バレンタインが作ったチームカラー】

――この日本シリーズについて、阪神の関本さんにもいろいろお話をお聞きしましたが、「若い西岡剛と今江の2人をどんどん乗せてしまったのが痛かった。2人は試合を楽しんでいるように見えたし、ものすごく勢いがあって手がつけられなかった」と話していました。

清水 当時のロッテのチームカラーじゃないですかね。選手が伸び伸びプレーでき、力を発揮できる環境をボビー(・バレンタイン監督)が作ってくれていましたから。野球界だけでなく、どこの社会でも同じだと思うのですが、昔は威圧的な上司や先輩がいて、若手が臆してしまう環境が多かった。

 ただ、今はどこの球団を見ても、若い選手たちが萎縮せず、自分の力をしっかりと出せるような環境になっています。指導者も含めて、「ガラッと変わったな」という感じがすごくするんです。ボビーが2度目のロッテ監督に就任した2004年、この日本シリーズがあった2005年くらいから環境が変わり始めた気がしていて。この時のロッテのチームカラーは、その走りだったんじゃないかなと思います。

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