梨田昌孝が振り返る「江夏の21球」無死満塁になって西本幸雄監督の表情が「ふっと緩んだように見えた」 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

【日本一を逃した「江夏の21球」の瞬間】

――西本監督といえば、1979年の広島との日本シリーズ第7戦が印象深いシーンのひとつです。3-4と近鉄の1点ビハインドで迎えた9回裏の攻撃。7回から広島のマウンドを託されていた江夏豊さんを無死満塁と攻めたて、球団初の日本一に迫っていました。その後、「江夏の21球」と語り継がれる場面が訪れるわけですが、その時の西本監督の様子はいかがでしたか?

梨田 私は西本さんの斜め後ろくらいにいたのですが、無死満塁になった瞬間は「よしっ!」という感じで、笑ったとまではいかなくても、表情がふっと緩んだように見えました。それはかすかに記憶にあります。

――球団としても西本さんご自身としても初の日本一が迫り、「勝てるかもしれない」という思いがあったんでしょうね。

梨田 そう感じましたね。いつも難しい顔をされている西本さんがそういう表情を見せることは、まずないので。

――広島ベンチも動き、池谷公二郎さんと北別府学さんがブルペンに向かいました。その時に江夏さんが怒っていたということはよく知られていますが、近鉄ベンチからはどう見えましたか?

梨田 「なんで俺が投げているのに、ブルペンは次のピッチャーを用意するんや」と言わんばかりに、カリカリ怒っていました。でも、それがきっかけで江夏さんの闘争心に火がついたような気がしましたね。ファーストを守っていた衣笠祥雄さんがいいタイミングで声を掛けにいって、冷静さを取り戻したようにも見えました。

――その後、近鉄の代打・佐々木恭介さんが三振して一死満塁。西本監督は、次の石渡茂さんにスクイズのサインを出しましたが、空振りでスクイズ失敗。三塁ランナーが三本間に挟まれてタッチアウト。その後、石渡さんは三振し試合終了となりました。

梨田 石渡さんが打席に入った時、私は「スクイズのサインは出さないほうがいい」と思っていました。石渡さんはあまりバントが得意ではなく、満塁でのスクイズは難しいんです。三塁ランナーの藤瀬史朗は足が速かったですが、スタートがよすぎて察知されてしまった。あれならホームスチールのほうがよかった、と思えるくらいのいいスタートでした。

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