元阪急のブーマーは「穏やかで情が深い人間」 松永浩美が振り返る、カエルのイタズラや誕生日サプライズ (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • Photo by Sankei Visual

【ブーマーからのイタズラやサプライズ】

――プライベートで食事をする機会などはありましたか?

松永 何人か一緒に神戸で食事をしたことがあったのですが、私の合流がちょっと遅れてしまって。そうしたら、ブーマーが「マツさん、これ食べなよ」と唐揚げを差し出してきたので、私は「やわらかくて美味しいね」と言いながら食べたんですが......すると、みんながゲラゲラ笑い出したんです。

 なんで笑っているのか不思議に思っていたら、ブーマーが「マツさん、今食べたのか何か知ってる? それカエルだよ」と(笑)。みんなは食べたくなかったみたいで、「じゃあマツに食べさせよう」となったみたいなんです。味は美味しかったですけど、あれ以来、カエルは食べていません。

 あとは、遠征で宿泊していたホテルでもいろいろありましたね。

――どんなことがあったんですか?

松永 品川プリンスホテルに泊まっていた時、ブーマーから誕生日ケーキをもらったことがあって。ドアをコンコンとノックして部屋に入ってきたので、「何かな?」と思ったら、「マツさん、ハッピーバースデー!」と。あの大きな手で持っていたのは、小さい三角のショートケーキでしたけどね(笑)。ロウソクなどは立てず、普通のケーキが1個だけで「ケーキならもっと大きいのを買ってこいよ!」とも言いましたけど、嬉しかったです。

 逆に、私がブーマーの部屋を訪ねる時もありました。今日は打てなかったな、気分が晴れないな、と思った時などが多かったですね。ドアを叩きながら「ブーブー!」と呼ぶと、風呂に入っていることも多くて、シャワーキャップ姿で「何!?」とドアを開けたり(笑)。その姿を見る度に私は笑っていました。

――ブーマーさんは日本人特有のコミュニケーションや文化に慣れようと努力していたとのことですが、日本のプロ野球、阪急の練習に慣れるのは早かったですか?

松永 外国人助っ人は、まず日本の練習量に戸惑います。チーム練習の時間が長いですからね。個人の技術を磨くための練習も全体でやろうとしますし。一方のメジャーでは、チームプレーはササッと終わらせて、後は個人プレーという世界ですから。

 だけどブーマーの場合は、日本の練習に戸惑っているようには見えませんでした。「練習時間が長い」という認識もなかったようです。「この時間までにこれをやって、この時間は休憩できて、ここの時間にこれをやればいい」といったプランを自分で立てていました。不平不満は聞いたことがありませんでしたね。

(中編:ブーマーと松永浩美が「私が走るとわざとファウルを打つ」と言い争い 上田利治は監督室に呼び出し「2人で打順を決めろ!」>>)

【プロフィール】
松永浩美(まつなが・ひろみ)

1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。

◆松永浩美さんのYouTubeチャンネル「松永浩美チャンネル」

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