石毛宏典らプロを多数輩出 今こそ知ってほしい社会人野球の名門・プリンスホテルの歴史 (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

【プロ以上のアマチュアチームをつくる】

 78年9月18日、堤は自ら記者会見に臨み、プリンスホテル野球部の結成を発表した。会見のなかで堤は、「ウチはアイスホッケーでも全日本クラスしか獲っていない。野球選手もプロからドラフトされるような選手でないと意味がない」と発言。この言葉に大学側は当惑し、堤が西武ライオンズのオーナーとなってからは、プロの他球団が疑念を抱くことになる。

 同一資本が、プロとアマの野球チームを同時に持った前例はなかっただけに、「西武はプリンスを実質的なファームにして、ドラフト外でトンネル入団させるのではないか」と。

「たしかに世間では『プリンスは西武のトンネル会社だ』とか言われて、騒がれました。西武でフロント入りした根本陸夫さんから、協力を求められたこともありますよ。でも、私自身はまったくそんな考えを持ってなくて、とにかくプロ以上のチームをつくりたかった。理想は、ちまちました野球ではなく、ダイナミックでスピーディーなベースボールをやるチームでした」

 監督にはかつて慶應義塾大を率い、日本通運で都市対抗優勝の実績もある稲葉誠治が就任。石山は78年秋のリーグ戦で早大を優勝に導いて監督を辞任し、プリンスでは助監督になった。ただ、チームづくりは石山に一任され、采配も任されていた。

 では、「プロ以上のアマチュア」を理想に掲げたチームの現実はどうだったのか。プリンス野球部でプレーした元選手たちの証言をもとに、高々と打ち上げられた花火が消えるまでの22年間を振り返っていきたい。

次回につづく

(=文中敬称略)

プロフィール

  • 高橋安幸

    高橋安幸 (たかはし・やすゆき)

    1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など

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