西武と近鉄の「伝説のダブルヘッダー」で渡辺久信がブライアントに被弾 石毛宏典は周囲に「ナベちゃんは責められない」 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

【西武と近鉄のダブルヘッダーで「「ナベちゃんは攻められない」】

――石毛さんはマウンド上の渡辺さんをショートやサードから見守っていたと思いますが、一番印象に残っている場面は?

石毛 1989年(10月12日の)の近鉄とのダブルヘッダーですね。西武、近鉄、オリックスが1ゲーム差にひしめく状況だったのですが、近鉄が優勝するためにはダブルヘッダーで西武に連勝しなければいけなかった。

 そこで西武は、近鉄の(ラルフ・)ブライアントに4打席連続でホームランを打たれるなどして2連敗。近鉄に優勝を持っていかれてしまったのですが、そのブライアントの3本目(ダブルヘッダー1試合目の勝ち越しホームラン)を打たれたのがナベちゃんでした。

 ナベちゃんは打たれた瞬間にマウンドで膝をガクッとついていましたが、その時に自分が言ったのは「ナベちゃんは責められないでしょ」ということ。ローテーションを守ってシーズン通して活躍してくれたわけだし、ベンチに戻ってから「あいつが打たれる分にはしゃあない」と周囲に伝えました。

――マウンド上では、何と声をかけましたか?

石毛 いやいや、言葉はないです。肩をポンッと叩いただけ。シーズンでのナベちゃんの活躍、仕事ぶりは誰もがわかっているわけですし、そのおかげで優勝争いができたわけですから。

「無事之名馬(ぶじこれめいば)」じゃないけど、そのシーズンだけではなく、ナベちゃんはずっと先発ローテーションを守ってくれた、常勝軍団と言われた西武の屋台骨。ピッチャー陣を支えてくれた大貢献者です。負けて卑屈になることもなく、サラっとしていて切り替えが早かった。ひとりの人間としても非常に接しやすいです。首脳陣から見ても使いやすいピッチャーだったと思いますし、頼りになる存在だったと思いますよ。

(後編:渡辺久信が西武の監督1年目しか優勝できなかった理由 「自主性」がもたらしたプラスとマイナス>>)

【プロフィール】
石毛宏典(いしげ・ひろみち)

1956年 9月22日生まれ、千葉県出身。駒澤大学、プリンスホテルを経て1980年ドラフト1位で西武に入団。黄金時代のチームリーダーとして活躍する。1994年にFA権を行使してダイエーに移籍。1996年限りで引退し、ダイエーの2軍監督、オリックスの監督を歴任する。2004年には独立リーグの四国アイランドリーグを創設。同リーグコミッショナーを経て、2008年より四国・九州アイランド リーグの「愛媛マンダリンパイレーツ」のシニア・チームアドバイザーを務めた。そのほか、指導者やプロ野球解説者など幅広く活躍している。

◆石毛宏典さん公式YouTubeチャンネル
「石毛宏典TV」はこちら>>

プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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