若き清原和博が密かに明かした「苦手だったこと」を松永浩美が初公開 「これをうちの投手陣に言ったら......」 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

【ファーストの守備は、野手が「安心して投げられる」】

――他にはどんなお話をされましたか?

松永 いつのシーズンかは覚えていないのですが......たぶん7月か8月ぐらいの試合だったかな。その時、私の打率は.297か.298ぐらいだったんですけど、出塁した時に、ファーストを守っていたキヨがスコアボードを見ながら、「珍しいですね。松永さんがこの時期に3割切っているのは」と言ってきたんです。だいたい私は7、8月くらいまで打率は3割以上だったので。

 それで私は、「キヨも朝起きた時に歯を磨いたり、顔を洗ったりするだろ?(3割を打つのは)そんな感じだよ」と言いました。朝起きたら顔を洗って歯を磨くのは自然な流れじゃないですか。私にとっては3割を打つのも自然のことだから特に苦痛じゃないと。キヨは「えっ?」とリアクションしただけで話は続きませんでしたけど(笑)。
 
 あと、キヨが「内野を守っていて、打球が速いと思う選手は誰?」ということを話していたのも覚えています。

――どうしてそんな話になったんですか?

松永 いや、これはテレビ番組でキヨがインタビューを受けていた時の話で、「打球が速いと選手」で私の名前を挙げていたんです。そういえば、「あんまりこっち(一塁)に打ってこないでください」と言われたことがありました。

 私はあんまりファーストゴロって打たないんですけど、一二塁間の打球は速かった。放物線を描くような打球ではなくライナーが多かったので、そういう評価をしてくれてるんだなと思いました。

――清原さんは松永さんの打球を嫌がっていたようですが、清原さんの守備はどう見ていましたか?

松永 うまいですよ。守備範囲が広いわけじゃないですし、派手さはないですが、自分が届く範囲は確実にこなしていました。

――ハンドリングが上手かった?

松永 そうですね。私がサードで守っていてファーストに送球するとしたら、安心して投げられるタイプの選手でした。私が現役の時のファーストはブーマー(・ウェルズ)が多かったですが、彼は背が高いという安心感があった一方で、キヨはハンドリングがうまくてワンバウンドを捕るのもうまいという安心感があった。投げる野手たちはラクだったでしょうね。

【プロフィール】
松永浩美(まつなが・ひろみ)

1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。

◆松永浩美さんのYouTubeチャンネル「松永浩美チャンネル」

詳細はこちら>>

プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る