斎藤佑樹が追い求めた150キロと股関節痛「このケガがピッチャーとしての未来を変えてしまったとしても、それも僕の人生」 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 150キロにこだわったのは、松坂大輔さんをずっと追いかけていたからなのかもしれません。ライオンズ時代の松坂さんは150キロの真っすぐをバンバン投げて、スライダーもチェンジアップも自由自在に操っていました。松坂さんは真っすぐがすごいのに、それに頼りすぎていない。変化球を生かすための真っすぐだし、それを生かすための変化球になっていました。全部のボールでカウントがとれて、全部のボールで三振がとれる。僕も松坂さんのように、普段は穏和なのにボールから凄みを出せる、そんなピッチャーになりたいと思いました。とてつもなく速く感じるとか、目の前から消えるとか、そういう凄みを、僕の投げるすべてのボールからも出せるようになりたかったんです。

 力と力の勝負というのは、必ずしも真っすぐを投げることじゃない。力勝負は全力投球です。全部の球種でカウントがとれて、全部の球種で打ちとることができて、全部の球種で三振がとれる。すべてが勝負球で、カウント球。それができれば万能になれると思いました。僕にとってはそれが松坂さんでした。変化球には自信があったので、あとは150キロの真っすぐがあればプロで活躍できると思いたかった......つまりは、安心材料が欲しかったんだろうと思います。

【野球人生を変えた股関節痛】

 でも、3年の時には150キロを出すことはできませんでした。3年の秋に149キロ(自己最速タイ、大学入学後では最速、立大1回戦)は出たんですが、じつは2年秋のシーズンが終わってから、僕は股関節を痛めてしまったんです。その原因が何だったのかはいまだにわかりません。

 大学2年の冬......2008年12月から1月にかけて、スピードを上げるためにそれまであまりやってこなかったウエイトトレーニングをかなりガッツリとやっていました。股関節を痛めてからはガッツリをやめて緩やかなイメージのトレーニングに切り替えました。ベンチプレスとかフルスクワットをやめて、部位ごとに、三頭筋とかハムストリングのトレーニングに変えました。

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