西崎幸広が「現役時代に対戦が嫌だった打者5人」西武の大砲との対戦は、自分の調子を確かめるために「使って」いた (3ページ目)

  • HISATO●取材・文 text by HISATO
  • photo by Sankei Visual

【対戦で自分の調子を確かめていた右バッターも】

――次が最後になりますが、誰を挙げますか?

西崎 誰がいいかな......左バッターはもう出てこないですね。では、西武時代の清原和博(西武、巨人、オリックス)にしましょう。

――デストラーデさんもそうですが、西武"黄金時代"を象徴する選手でしたね。

西崎 清原にはとにかくホームランを打たれました。ただ、僕のなかでは「調子のバロメーターを探るのに一番いいバッター」でもありましたね。

――それはどういうことですか?

西崎 彼はインサイドの高めが弱点だったんですけど、コントロールミスをすると確実にホームランを打たれた。そこで自分のコントロールや、基本となるストレートの走りなどがどうなのかを確かめていたんです。

 インサイド高めで空振りやファールが取れたら、「あ、今日はボールが走ってるな」とわかるし、簡単に打たれてしまったら「ボールが行ってないな」と思って、そこから組み立てを変える。自分の調子を探るのに"使って"いたバッターでしたね。

――さまざまなバッターを挙げていただきましたが、打席に立った時に一番嫌だった選手を選ぶなら誰になりますか?

西崎 そうですね......テストラーデもですが、門田さんは嫌でしたね。

――現在は、左バッターで言うと大谷翔平選手(エンゼルス)や、村上宗隆選手(ヤクルト)などが象徴的かと思います。西崎さんが現役だったら、そういったバッターと対戦してみたい、どんなふうに抑えるか、といったことを考えることはありますか?

西崎 いや、ないですね。あんなバッターたちとなんて対戦したくないです。打たれるのがわかってているのに対戦したくないですから(笑)。

(後編:「あれ以来、セカンドバッグは持っていない」怒りの契約更新、当時の超絶人気ぶりを振り返った>>)


【プロフィール】
西崎幸広(にしざき・ゆきひろ)

1964年生まれ。滋賀県出身。瀬田工業、愛知工大を経て、1986年、ドラフト1位で日本ハムに入団。1年目から15勝を挙げ、翌年には最多勝のタイトルを獲得。1991年まで5年連続でふた桁勝利を挙げるなど活躍した。その後、1998年に西武に移籍してからはクローザーも務め、127勝20セーブの記録を残して2001年に現役を引退。解説者やYouTubeチャンネルでも活動し、2023年度からルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズの監督を務めることになった。

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