「早稲田の1番をピッチャーにつけさせるなんて」斎藤佑樹は巻き起こる批判にも負けずさらなる進化を目指した (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 その後、何度も思うことになるんですが、あの交代は應武(篤良)監督のそういうところを見極める能力はすごい、と最初に思った瞬間でもありました。

【目標を高く設定した代償】

 その頃、高校からプロに進んでいたマー君(田中将大)はイーグルスで1年目から2ケタ勝利を挙げて(11勝7敗)、新人王を獲得していました。大学では大場さんや慶應の加藤(幹典、のちにスワローズ)さんという身近な存在が僕にとっては大きくて、「2人を目標に」と思っていましたが、マー君への意識はそんなになかったような気がします。プロでの2ケタ勝利と大学野球の結果とでは比較のしようがない。僕がプロに挑戦できるのは3年後でしたから、そんな先のことは現実味がなかったのかもしれません。

 もちろん、プロに入った時にはマー君に負けたくないという気持ちはありましたが、その時までに自分の実力を上げていかないといけない。だからこそ、こんなもんでいいかという感覚だけは捨てなければならない、と思っていました。いずれはプロで2ケタ勝てるピッチャーになるために、大学時代の自分のなかでの天井を少しでも高く設定しなければと思っていたんです。そのために大学での4年間で、できることはすべてやろうと考えていました。

 目標を高く設定するというのはいい面もありますが、その反面、何をどれだけやっても、現状に満足できなくなってしまう、というよくないこともありました。できていることを自分でうまく認めてあげられないと、焦りが出てしまう。スタミナとキレが増している現状を消化できず、もっともっとスピードを上げなくちゃいけないと思ってしまったんです。

 だからウエイトをガンガンやったりして、一段一段上がっていけばよかったのに、二段飛ばしをしようとしてしまいました。あの時の焦りは、いくつかあった野球人生のボタンの掛け違いのうちのひとつだったような気がします。

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