「早稲田の1番をピッチャーにつけさせるなんて」斎藤佑樹は巻き起こる批判にも負けずさらなる進化を目指した (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 プロに入ってからの僕は、この時の映像を参考にしていました。よく「高校時代の映像は見るんですか」と聞かれましたが、僕が見ていたのは大学1年の秋の映像です。見るたびに自然に動く肩甲骨と同時に、長髪だった自分が気になって、「なぜあの頃のオレはこんなに髪が長かったんだ」と、いつも思っていました。その理由は謎のままなんですが(笑)。

【應武監督の見極める力】

 大学野球では春のリーグ戦で優勝すると全日本大学野球選手権に、秋のリーグ戦で優勝すると明治神宮大会に出場できます。神宮大会といえば早実2年の秋に一度、高校の部に出場しました。準決勝で駒大苫小牧に負けた、あの時です。

 今回は大学の部へ出場することになったのですが、決勝で東洋大に負けてしまいました。相手の先発は、その年のドラフトの目玉と言われた大場翔太さん(のちにホークス)で、僕らは完璧に抑えられました(早稲田が打ったヒットは2本、奪われた三振は10個、完封を喫した)。

 僕と大場さんは、どちらも決勝戦で3連投になっていました。僕も6回までを被安打1、無失点で抑えていたんです。それが6回裏、代打を送られて交代となりました。0−0の試合はその後、均衡が破られ、最後は0−2で東洋大に優勝を持っていかれました。

 当時、相手の大場さんにも、ほかのいろんな人にも「なぜあそこで代わったの」と聞かれました。たしかに数字だけを見れば6回までの僕のピッチングはスライダーとツーシームを交えながら、ストレートもまあまあのスピードが出ていて(最速は143キロ)、大場さんに勝るとも劣らない、いい内容だったと思います。

 でも自分のなかではあの時、6回でいっぱいいっぱいだったんです。東洋大の打線もよかったので、気を遣いながらコーナーを丁寧に突いていかなければなりませんでした。

 そんな感じで気を張って投げていたので、6回で代えてもらってよかったなと、正直、ちょっとホッとした感覚があったんです。大場さんのように、3連投で完封なんて馬力はありませんでした。だから僕としては「なぜ代えたんだ」ではなく、「よく見抜いたよね、すごいな」という思いが先に立っていました。

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