「こんな気持ちではファンにも失礼だ」杉谷拳士はエスコンフィールドで気づいた「中途半端な自分」に引退を決意した (2ページ目)

  • 石塚 隆●取材・文 text by Ishizuka Takashi
  • 立松尚積●撮影 photo by Tatematsu Naozumi

──なるほど。ご両親の教育というか、いつだって先を見て行動することのできる下地が幼い時からあったんですね。そして今、杉谷さんは新たな人生を歩んでいますが、当然プロ野球生活には後悔も未練もない。

杉谷 もちろんです。やりきった気持ちは強いです。現役中、いずれはセカンドキャリアを歩まなければいけないし、いつそのタイミングがくるのか以前から考えていました。そして昨年、チームの現状や自分のコンディショニング、これからのことを考えた結果、総合的に判断したんです。でも最後の決め手になったのはチームで10年間お世話になった栗山(英樹)さんの言葉です。

──どんな言葉だったんですか。

杉谷 いろいろ話したなかで「人と違う道を進もうとするのは、すごく勇気のいることだけど、拳士ならそれができるはずだよ」と。それを聞いて、よし前進しようって決断することができました。

──ゆえの「引退会見」ではなく「前進会見」だったわけですね。総合的な判断とは言いますが、続けていくのは難しいなって自分自身で気づいた瞬間というのは。

杉谷 うーん、そうですね。メンタル的な部分で言うと、新球場(エスコンフィールド北海道)を見学に行った時「狭くなったな」とか「戦術も変わるな」「この角度ならファンの方々も楽しんでくれるな」ってことばかり考えていたんです。あとから気づくと「ここでプレーするんだ!」とか「絶対にやるぞ!」とは考えてはいなかった。そう思っていない中途半端な自分がいたことに気がつきました......。こんな気持ちではチームにもファンにも失礼だと思いましたし、最終的に判断するうえで大きなきっかけになった出来事でした。

──そうでしたか......。さて次のステップに向け、杉谷さんは会社を興すそうですね。

杉谷 指導者や解説者など野球関連の仕事もいいと思うのですが、僕は高校を出てから野球の世界しか知らないので、もっともっと違う世界を知りたいなと思ったんです。そこで自ら会社を設立し、5年10年15年先を見据えて過ごしていけるような"先駆者"になりたいと思っています。

──どのような業務をしていくんですか。

杉谷 夢を持って挑戦する子どもたちをバックアップする仕事をしたいです。『スポーツ』『教育』『地域』『国際』という4分野をパズルのように組み合わせて、子どもたちが夢や目的を持った時、それを実現するためのきっかけ作りというか、会社も一緒になって「あなたとともに進んでいくよ」と背中を押し、「挑戦あふれる世界を創りたい」と思っています。

──スケールの大きな話ですね。そういった構想はいつ思いついたんですか。

杉谷 思い返せば、2017年のオフにオーストラリアン・ベースボール・リーグのブリスベン・バンディッツに加入した時かもしれないです。僕は単身で現地に行ったんですけど、試合に勝ってロッカーでアリアナ・グランデをガンガン流して踊っていたら「とんでもないヤツが来たな!」と、すぐにチームメイトと仲よくなったんですよ。すると近隣の街に住んでいる日本人の方が「日本人選手がいるみたいだよ」と、試合を見に来てくれるようになったんです。僕のプレーを見てもらったり、お話ししていくうちに、あまり野球に詳しくなかった現地の方も面白かったと言ってくれて、その輪がどんどん広がっていくのがわかりました。

──アリアナ・グランデのくだりは気になりますが、つまり野球と杉谷さんを中心にコミュニティーができていったわけですね。

杉谷 はい。その時に思ったのが、今まで僕は自分のために野球をやって、みんなに笑顔を届けられればいいやと思っていたんですけど、その輪の広がりを見て、今度はみんなのために野球をやらなければいけない、と気づいたんです。こういったことを将来、世界に広げて行くことができたらいいなって思っています。本当、あの経験が今につながっています。だからあのオーストラリアは僕にとっての『アナザースカイ』ですね(笑)

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