2001夏の甲子園優勝投手・近藤一樹が語る恩師 日大三高・小倉全由監督はセンバツで負けた日に「お前らなら全国でトップになれる」 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【はたして、小倉監督の発言の真意は?】

 1回戦は樟南高校に11対7で勝利した。続く2回戦は花咲徳栄高校を11対4で撃破し、3回戦も日本航空高校を7対1で倒した。伝統的に打撃が強い日大三高は、この代も猛打を誇る攻撃的なチームだった。準々決勝は明豊高校に9対2で勝利して、準決勝は横浜高校と対戦することになった。

「チームは順調に勝ち進んでいたんですけど、僕自身は2回戦の花咲徳栄戦が大ピンチでしたね。僕は初回からボコボコに打たれてノックアウトされました。二番手がしっかり抑えてくれたので、何とか逆転できたんですけど......」

 準決勝の横浜高校戦では、序盤こそ大量リードで優勢に進めていたものの、小さなミスや横浜の粘り強い攻撃によって、一度は同点に追いつかれた。それでも何とかサヨナラ勝ちで決勝に進んだ。

「僕らの代は関東大会でも、大量リードをしていたのに、イレギュラーによるバント処理のミスから大量失点を喫してしまうようなことが何度かあったんです。でも、何とか横浜高校に勝って、決勝では近江高校にも勝つことができました。確かに練習試合でも、ほとんど負けていなかったので『強くなった』とは思っていたけど、自分たちが本当に強いのかどうか実感はないままでの優勝でした」

 近藤たちの代による見事な勝利は、小倉監督にとっても初めての全国制覇となった。あらためて、当時のことを振り返ってもらった。

「今でも忘れられない光景があるんです。僕たちの代はセンバツにも出場しているんですけど、その時は1試合に3つのエラーをした選手もいて、あっさり負けてしまった。その日の夜、宿舎でのミーティングでのことなんですけど、監督が僕らを前に、『お前らなら全国でトップになれる』って言ったんです。試合に負けた日に言われたし、実際にその年の夏に全国制覇を果たしたので、この言葉はすごく印象に残っています」

 どうして、小倉監督がそんなことを口にしたのか、今でもその理由を知らない。恩師は、今年3月末限りでの勇退を決めた。近藤もまた、この春は以前と比べてゆっくりと今後について考える時間も生まれた。今春、それぞれが新しい環境を歩み始めることになった。だからこそ、「どうして、あの時そんなことを言ったのですか?」と尋ねてみたい思いがある。

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