「磨けば光るダイヤモンドをどぶに捨てるのか」選手兼監督・江藤慎一はフロントに抗議をしてまでプロ3年目の真弓明信を使い続けた (3ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by 共同

 太平洋クラブライオンズがAクラスに入ったのはあとにも先にもこの1975年だけであった。特筆すべきは、この年に優勝した阪急に対して太平洋は17勝8敗と圧倒的に勝ち越しており、またプレーオフで阪急と戦った近鉄とは12勝12敗で、五分の星であった。江藤の反骨精神の表れか、2強と言われたところに結果を残した。

「下位のチームから星を稼ごうというのではなくて、強いチームにこそ勝ってやろうという気風がありましたね」(真弓)

 一方で真弓はまた、江藤がふだんから見せる豪快な一面とは別に、配球や前の打席のプロセスをベンチ内で丁寧に分析していることに気がついていた。

「配球なんか、もう全部覚えてるんだという印象がありました。豪快な野球をするなかでどうすれば勝てるか、非常に緻密に見ておられました。今、思えば太平洋は本当に環境が厳しかったんですよ。入団発表ってありますよね。僕の1年目はドラフトと移籍選手の同期が全部で7人いたんですけど、それを喫茶店でやったんですよ」

 真弓が入団した1972年、通常ホテルの宴会場で金屏風をバックにして行なう新人入団会見は、球団事務所近くの喫茶店に椅子を7つ並べて行なわれた。記者やカメラマンはそこですし詰めになりながら、メモを取り、シャッターを押した。

「他を知らないのでこれが普通なんだろうと思っていたんですが、そういうのがずっとあって。だから、江藤監督が狭い部屋を借りて暮らしていたっていうのも、驚きもしなかった。僕は阪神に行ってからあまりの華やかさにこれがプロ野球かと驚いたくらいです」

 後年、その阪神で監督を務めた真弓は江藤の監督としての資質を稀代のモチベーターであったと振り返る。楽天イーグルスの初年度よろしく、なかなかよい選手が集まらないなかで、選手へのモチベーションアップと配慮を行ない、移籍1年目の選手に首位打者とホームラン王、生え抜きの高卒投手に最多勝を獲らせた。

「他にもたとえば、国貞さんなんかのベテランは、最盛期を越えて少し成績が落ちぎみでしたが、そういう選手を集めているんで、常に何か刺激を与え続けないといけないと考えていたのでしょうね」

 筆者は、真弓に聞いておきたいことがあった。インターネットを含むさまざまな媒体のなかで、太平洋監督時代の江藤と選手との間に不仲、不和があったという言説である。

「それはありえないですよ。江藤監督が試合の勝ち負けや過程で選手をどうこう言うのはなかったですし、そんな関係だったら、順位も上がりません。土井さんなんかは、江藤さんの打撃フォームの影響を受けていたように見えました」

 中村オーナーは「江藤は戦力補強で一切の言い訳をしない監督だった」と吐露している。現有の勢力でどれだけ成績と観客動員を伸ばせるかを考えた結果、常に選手を鼓舞し続けた。真弓はことあるごとに「とにかく思いきってやれ!」と声をかけられた。

 水島新司の漫画『あぶさん』の小話「縄のれん」のなかで象徴的なシーンがある。スクイズのサインを見落として敗因を作った主人公のあぶさんこと景浦安武がその失敗を引きずり、試合後にふらりと入った居酒屋で、奥にいた監督江藤が4番の土井になぜ失投を見逃したと説教をした上で三冠王を狙えと檄を飛ばしているのである。

「王を抜いてみんかい。加藤、有藤、松原、もうひとつパンチ不足たい。長池や田淵には首位打者は無理。三冠王を狙えるのはお前しかおらんと」景浦が入って来たことに気づいていた江藤は、失敗のあとこそ、切り替えろと説く。そしてこんなセリフを吐く。「我が山賊チームは過去において何かと問題のあったやつばかりや、このわしにしてからが、中日はクビになるし会社はつぶすし借金は背負い込むし...のお」「我が山賊チームには、過ぎたことをクヨクヨする奴ア一人もおらんバイ」「あれじゃあ南海をクビになっても、ウチで拾ってやるわけにゃあいかんバイ」最後は景浦につらいときは店の縄のれんをにらんで忘れろと伝え、「禍福は糾える縄のごとし」という言葉を伝えて励ますのである。

 もちろん『あぶさん』はフィクションであるが、今更ながらに水島新司が当時のパ・リーグの球界事情と選手のキャラクターに精通していることに驚く。

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