日本ハムのドラ1・矢澤宏太が山本昌に明かした新庄監督との秘話。「誰の言うことも聞かなくていい」 (4ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kai Keijiro

山本 正直に言って、矢澤くんはどっちが好き?

矢澤 ......打つほうです。

山本 ハハハハ! これはあくまで「好き」の話だからね。

---- 今まで、そんなことを取材で言っていましたっけ?

矢澤 いえ、ドラフトが終わってから、ちょっと言うようになりました(笑)。

---- 最後に山本さんからアドバイスがあればお願いします。

山本 プロに入る後輩に必ず言っているんですけど、一番はケガのこと。ドラフト1位、しかも二刀流となれば、春季キャンプにはたくさんのメディアが取材に来るはずです。体のどこかに違和感を覚えても、「休みます」とは言いにくい状況かもしれない。それでも「休む勇気」を覚えてもらいたいですね。プロとアマの一番の違いは医療。医学知識のあるトレーナーやスタッフが必ずいるので、少しでもおかしいと感じたら相談して、焦らず休んでほしい。3日休めば済むものが、1カ月、半年とかかってしまう例を何回も見てきましたから。まずは1カ月やれれば、プロで通用します。そのくらいの気持ちでやってもらいたいですね。

矢澤 はい。今日はありがとうございました。

おわり


山本昌(やまもと・まさ)/1965年、神奈川県生まれ。日大藤沢高から83年ドラフト5位で中日に入団。5年目のシーズン終盤に5勝を挙げブレイク。90年には自身初の2ケタ勝利となる10勝をマーク。その後も中日のエースとして活躍し、最多勝3回(93年、94年、97年)、沢村賞1回(94年)など数々のタイトルを獲得。06年には41歳1カ月でのノーヒット・ノーランを達成し、14年には49歳0カ月の勝利など、次々と最年長記録を打ち立てた。50歳の15年に現役を引退。現在は野球解説者として活躍中。

矢澤宏太(やざわ・こうた)/2000年8月2日、東京都生まれ。5歳から町田リトルで野球を始め、中学時代は町田シニアに所属。藤嶺藤沢高では1年夏からベンチ入りを果たし、1年秋からエースに。3年夏は南神奈川大会ベスト8。高校卒業後は日体大に進学し、1年春に外野手としてリーグ戦デビュー。2年秋は外野手としてベストナインを獲得し、投手でもリーグ戦初勝利。その後も投打"二刀流"で活躍し、2022年秋のドラフトで日本ハムから1位で指名され入団。背番号は「12」。

【著者プロフィール】菊地高弘(きくち・たかひろ)

1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。

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