髙木大成が今も忘れない六本木交差点封鎖。「あの時ほど慶應大野球部の歴史と伝統を感じたことはない」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Ichikawa Mitsuharu (Hikaru Studio)

── 4年の時、髙木さんはキャプテンでしたから、そういう価値観のギャップに向き合うのは苦しかったでしょうね。

髙木 同じ練習をやっていても、自分を追い込むためにガンガンやるのか、満喫するためにガンガンやるのか。それって似て非なることなので、キャプテンをやっていた時期はすごく悩みましたね。僕がキャプテンになった春、キャンプでアメリカに行ったんですが、練習内容も練習時間も僕には物足りない。わざわざアメリカまで来て、なぜ毎日ぶっ倒れるまでやらないのか、と......。

 全体練習が終わって、ホテルのプールで日焼けしてる人もいたんです。そういう時、彼は『オレはそんなふうには考えないから』と言うんです。いま思えば、そういう考え方は慶應には合っていたのかもしれません。そこにプラスアルファする感じで、僕の考えを入れてやれたらよかったんでしょうね。当時はそうじゃないと自分の考えを押しつけようとしていました。

── 最後はわかり合えたんですか。

髙木 最終的にはみんなが納得して、一緒に戦えた感じはありました。4年秋のリーグ戦はすごくいいチームになっていたと思います。ただ、リーグ戦では明治に優勝をさらわれて慶應は3位だった......あの時、優勝していれば、このチームでよかったという終わり方ができたと思うんですけど、そうはうまくはいきませんでした。

── それでも髙木さんは、大学3年の春(1994年)、早慶戦では44年ぶりとなる天覧試合でのホームランを打っています。

髙木 じつはあのホームランは天皇陛下が到着なさる直前に打ったんです。だから陛下には見ていただけなかった(苦笑)。野球界で天皇賜杯を下賜されるのは六大学野球のリーグ戦優勝校だけです。天覧試合も慶應じゃなかったら経験できなかった。そういうところでも歴史を感じます。慶應のユニフォームの"KEIO"の胸文字も、"KE"と"IO"の間がやたらと開いているでしょう。普通なら4文字をバランスよく配置するのに......あれって昔はボタンを留める真ん中の部分に文字を入れられなかった名残なんです。そういうところにも歴史を感じますよね。


髙木大成(たかぎ・たいせい)/1973年12月7日、東京都生まれ。桐蔭学園高から打てる捕手として活躍し、3年夏に甲子園出場を果たす。高校卒業後は慶應大に進学し、3年、4年時はベストナインに選出。4年時は主将としてチームを牽引。95年のドラフトで西武を逆指名し入団。プロ入り後はファーストにコンバートされ、97年、98年にゴールデングラブ賞を獲得。05年に現役引退後、西武ライオンズの社員として営業やPR等の事務に携わる。2011年にプリンスホテルに異動。約5年間のホテル業務を経験したのち、2017年より再び西武ライオンズの社員となり、現在はライツビジネス事業部部長として忙しい日々を送っている。

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【あらすじ】荻島航平は"都立の星"と呼ばれた高校球児。
3年の夏を終え、次なる舞台として目指したのは
"神宮球場"を主戦場にする"都心6大学リーグ"だった。
猛勉強の末、池袋大学に入学した荻島だったが、
野球部の練習初日になんと"4軍"行きを命じられてしまう!
下剋上を目指す、荻島の"4軍くん"ストーリーが始まった!

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