山本昌「佐々木朗希を初めて見た時の印象は?」吉井理人「素質は野茂英雄、ダルビッシュ有、大谷翔平より上」 (4ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Koike Yoshihiro, Igarashi Kazuhiro

ともに1965年生まれの吉井理人氏(写真左)と山本昌氏ともに1965年生まれの吉井理人氏(写真左)と山本昌氏この記事に関連する写真を見る山本 少しずつ体力がついてきている感じはしますか?

吉井 体力はついてきていますね。体もしっかりしてきているし、22年は最後にちょっとへばったけれども、それでも最後までいけた。だから、23年シーズンは同じような間隔になるかもしれないけれども、シーズン後半もへばらないで、あの4月みたいなピッチングができるようになってくれればなと。で、その次の年、24年シーズンぐらいからですね、フルに180から200イニングを投げられるぐらいの登板間隔で先発させるのは。

山本 そういう長期的展望で育成できるのが吉井監督の強みだと思いますね。ぜひ、悲願のリーグ制覇、日本一に向けて頑張ってください。

吉井 ありがとうございます。ぜひシーズンオフにはいい報告ができるように頑張ります!

おわり

吉井理人(よしい・まさと)/1965年、和歌山県生まれ。箕島高時代は甲子園に2度出場し、83年ドラフト2位で近鉄に入団。4年目の87年にプロ初勝利を飾り、5年目はリリーフとして50試合に登板して10勝2敗24セーブの活躍を見せる。95年の開幕直前にトレードでヤクルトに移籍。先発に転向して3年連続2ケタ勝利を挙げる。97年オフにFAでメッツに移籍。その後、ロッキーズ、エクスポズでもプレーし、メジャー通算32勝をマーク。帰国後はオリックス、ロッテでプレーし、07年に現役を引退。引退後は日本ハム、ソフトバンク、ロッテでコーチを務め、23年からロッテの監督を務める。

山本昌(やまもと・まさ)/1965年、神奈川県生まれ。日大藤沢高から83年ドラフト5位で中日に入団。5年目のシーズン終盤に5勝を挙げブレイク。90年には自身初の2ケタ勝利となる10勝をマーク。その後も中日のエースとして活躍し、最多勝3回(93年、94年、97年)、沢村賞1回(94年)など数々のタイトルを獲得。06年には41歳1カ月でのノーヒット・ノーランを達成し、14年には49歳0カ月の勝利など、次々と最年長記録を打ち立てた。50歳の15年に現役を引退。現在は野球解説者として活躍中。

【著者プロフィール】長谷川晶一(はせがわ・しょういち)

1970年、東京都生れ。早稲田大学から出版社勤務を経て、2003年にノンフィクションライターに。2005年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた ! ―涙と笑いの球界興亡クロニクル』『いつも、気づけば神宮に―東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』『幸運な男―伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生』『詰むや、詰まざるや―森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』など多数。

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