吉井理人と山本昌が語り合う幻の移籍話「星野監督からマサより給料は出せないけどなって」「じつは僕もメジャーから...」 (4ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Igarashi Kazuhiro

── 吉井さんは2023年から千葉ロッテマリーンズ監督に就任が決まりました。あらためて同世代として、山本昌さんから吉井監督へのエールをいただけますか?

山本 めっちゃ応援しますよ。普段から競馬とか、共通の趣味があって普通に話をする仲なんだけど、吉井監督は、僕にない野球理論や指導術を持っていますからね。現役を引退してから、僕はまだ一度もユニフォームを着ていないけど、吉井監督はすでに各球団で、しっかりピッチングコーチとして実績を残した中での監督就任になるので、絶対に頑張ってほしいな。また、いいチームに就任したなって思いますよ。ファンも多いし、若い選手も伸びてきているチームなので、ぜひ、吉井監督の下で日本一になってほしいです。

吉井 目標はもちろん日本一を目指してやるので、「そのためにはどうしたらいいか?」って、今、一生懸命考えています。どうしても今までのやり方にとらわれて、今までと同じ練習方法や戦術を採り入れがちだけど、やっぱり「何か変わったことをやらなきゃいけないな」と思っています。2022年シーズン、ピッチングコーディネーターとしてアメリカに勉強に行ったけど、20年前に自分がメジャーにいた頃とは戦術も変わっていたし、日本野球も全然変わっているので、そのあたりをしっかり採り入れていきたいと思っています。

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吉井理人(よしい・まさと)/1965年、和歌山県生まれ。箕島高時代は甲子園に2度出場し、83年ドラフト2位で近鉄に入団。4年目の87年にプロ初勝利を飾り、5年目はリリーフとして50試合に登板して10勝2敗24セーブの活躍を見せる。95年の開幕直前にトレードでヤクルトに移籍。先発に転向して3年連続2ケタ勝利を挙げる。97年オフにFAでメッツに移籍。その後、ロッキーズ、エクスポズでもプレーし、メジャー通算32勝をマーク。帰国後はオリックス、ロッテでプレーし、07年に現役を引退。引退後は日本ハム、ソフトバンク、ロッテでコーチを務め、23年からロッテの監督を務める。

山本昌(やまもと・まさ)/1965年、神奈川県生まれ。日大藤沢高から83年ドラフト5位で中日に入団。5年目のシーズン終盤に5勝を挙げブレイク。90年には自身初の2ケタ勝利となる10勝をマーク。その後も中日のエースとして活躍し、最多勝3回(93年、94年、97年)、沢村賞1回(94年)など数々のタイトルを獲得。06年には41歳1カ月でのノーヒット・ノーランを達成し、14年には49歳0カ月の勝利など、次々と最年長記録を打ち立てた。50歳の15年に現役を引退。現在は野球解説者として活躍中。

【著者プロフィール】長谷川晶一(はせがわ・しょういち)

1970年、東京都生れ。早稲田大学から出版社勤務を経て、2003年にノンフィクションライターに。2005年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた ! ―涙と笑いの球界興亡クロニクル』『いつも、気づけば神宮に―東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』『幸運な男―伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生』『詰むや、詰まざるや―森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』など多数。

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