斎藤佑樹、波乱だった大学野球のスタート。沖縄のキャンプでは監督から「オレが想像している斎藤はこんなピッチングじゃない」 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 ただ僕は、周りからはそう見えなかったかもしれませんが、必死にやっていました。大学に入るにあたって早稲田の野球部には厳しい印象はありましたが、入ってみたら本当にすごく厳しかったんです。実際、力が伴っていたら1年が起用されるのは当たり前、みたいな空気はまったくありません。

 1年生は1年生だし、上下関係には厳しいし、場をわきまえなくてはというピリッとした雰囲気は常にありました。グラウンド整備から雑用まで、やらなければならないことはたくさんありましたし、練習する時も先輩方がどう思うかを意識していました。だから、「開幕はオレだ」みたいな意識は、当時の僕にはありませんでした。

 つい最近、1年春のオープン戦では僕より福井のほうが結果を出していたと、福井自身が僕に言っていましたが、じつはその記憶もありません(笑)。僕は誰かに負けたくないとか、開幕投手を狙うとか、そういうことをあまり考えず、目の前の練習や練習試合を淡々とこなしていたんじゃないかと思います。

 あの時のピッチングがよかったという記憶はないし、オープン戦で大学野球のレベルを探ろうという気持ちもなかった。本当に1試合、1イニング、バッター1人という感じで、あっという間に開幕を迎えた感覚でしたね。

 とはいえ、同じ1年の福井に対しての対抗意識はありました。ライバル心のようなものを持っていて、あの頃、キャッチボールの相手はいつも福井でした。もちろん当時、仲がよかったからキャッチボールをする、なんて空気はどこにもありません。覚えているのは「開幕投手はオレだ」ではなく、「福井に土曜日をとられてたまるか」という気持ちです。

 高校で日本一になって、4年の時には絶対に早稲田のエースとして大学日本一になると思っていましたから、同期には負けていたくないという思いが強かった。福井に土曜日をとられるわけにはいかないと、そんな気持ちでキャッチボールしていたのを覚えています。だから、「どうだ」というボールを投げたくて、かなり力が入っていたはずです。それは福井も感じていたんじゃないですか(笑)。

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 土曜日──東京六大学ではリーグ戦の各カード、初戦は土曜日に開催される。土曜に第1戦、日曜が第2戦。その2試合でどちらかが2勝できずに勝ち点をとれなかった場合、月曜に第3戦が行なわれる。つまり"土曜日"に投げることは東京六大学のエースの証なのだ。そして1年春の開幕戦、東大との第1戦に、斎藤が先発することになった。

(次回へ続く)

【著者プロフィール】石田雄太(いしだ・ゆうた)

1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Nunber』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

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