江藤慎一の打撃技術に「ミスター・ロッテ」有藤通世は驚き。「どんな球どんな投手にも対応できる」 (2ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by 産経新聞社

 中日の主戦投手であった小川健太郎も逮捕された。容疑は野球ではなく、オートレースに関する小型自動車競争法違反(贈賄)であった。5月6日、小川は東京の警視庁に出頭を命じられた。

 マネージャーの足木敏郎は、小川をマスコミや野次馬の晒し者にしないため、名古屋の小川宅から、桜田門まで、新幹線ではなく、自家用車で送り届けている。早朝5時半からの東名高速のドライブは終始無言。その気まずさから足木がラジオをつければ、「本日、小川健太郎投手が逮捕されます」というニュースが流れて、慌ててスイッチを切った。警視庁地下駐車場で刑事のあとをついていく小川を足木は見送った。前年に20勝をしたサブマリン投手は永久失格処分選手となった。

 このような激震のなか、球界としてもONを差し置いてセ・リーグの4番に座れる江藤を失うことは大きな損失だった。

 江藤自身もまだ32歳。野球への欲求は断ちがたく、キャンプインの2月1日になると、自然に身体がうずいた。そんな心中を察するかのようにヤクルトの松園尚巳オーナーが入団要請をしてきた。金銭でのトレードであったためにこれは成就しなかったが、ここに至って江藤も復帰を決意した。

 中日球団も移籍先を探し始めた。江藤は、コンディションを戻すために二軍練習場に行き、本多逸郎監督にトレーニングをさせてほしいと願い出た。犬山高校出身で、「犬山パラダイス」から愛称をパラさんと言った本多はハンサムな容姿と面倒見のよいことで知られている。江藤の申し出を快く引き受けてくれた。

 ところが、いざトレーニングに出向くと、このパラさんが、端正なマスクを曇らせて言った。「慎一、すまんが、もうお前にはグラウンドを使わせるなと言われたんだ」

 通達したのは一軍監督だった。水原茂は「私は感情でトレードはしない。感情でチームを乱すようでは監督失格だ」(昭和44年12月4日中日新聞)と記者には語っていた。しかし、こんな事実を見れば、やはり放出ありきであったのか、と考えるのが、自然であろう。水原は理論派に見えてその実、占いなどで先発オーダーを決めており、その影響でこの年、新人の谷沢健一は1番から9番まですべての打順を経験している。

 江藤はキャッチボールの相手さえいない、ティーを打つ環境さえない、孤独な練習に励むしかなかった。オープン戦が終わり、シーズンが開幕した。行き先を探す江藤の移籍先には、ロッテオリオンズが浮上してきた。ここには日鉄二瀬以来の師であり、恩人である濃人渉が、指揮官として就いていた。ロペス、アルトマンと左の強打者を揃えるロッテは右のスラッガーを欲しており、一方、小川健太郎を欠いた中日は投手を必要としていた。このトレードはロッテが3年目右腕の川畑和人を用意したことで成立した。

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