オリックス逆転Vの立役者・阿部翔太が歩んだ波乱の野球人生。「もしキャッチャーのままだったら...」 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Koike Yoshihiro

 阿部は銀次に対する5球目、外角にストレートを投げてボール。フルカウントとなってから、インコースへ思いっきり腕を振ってストレートを投げ込んだ。

「あのインコースへの真っすぐはイメージどおりでした。詰まらせたいと思って投げて、実際にそうなりましたから......」

 銀次はセカンドへ弱い当たりのゴロを転がして、ワンアウト。阿部の迫力あるピッチングは、守るバファローズを勢いづけた。ベンチが盛り上がるなか、阿部は1番の小深田大翔を空振り三振、2番の渡邊佳明をレフトフライに打ちとって、ゲームセット──勝利の余韻に浸る間もなく、バファローズの選手たちはホークスの戦いを球場のビジョンで見つめる。そしてホークスがマリーンズに敗れ、バファローズの逆転優勝が決まった。その瞬間、阿部は球場が光ったような気がしたのだという。

「ベンチの前でビジョンに映るZOZOマリンの試合を見ていたんですけど、最後、センターの髙部(瑛斗/マリーンズ)選手がボールを捕った瞬間、目の前の景色がボヤッとしたんです。球場全体が明るくなったというか、光ったんですよね......何だったのかなぁ。その時のことが今でも思い浮かびます。

 昨年も優勝しましたが、僕自身、ケガで何もできていなかったので、やっぱり今年はうれしかったし、優勝した実感があります。胴上げの時ですか? いや、ウチのチームにはデカい人がいっぱいいてるんで胴上げは力のある人にお任せして、僕はセンターに向かって跳びはねてました。ここらあたりなら映るかな、と思って(笑)」

高校3年で捕手から投手に

 阿部が生まれ育ったのはバファローズの本拠地、京セラドームのお膝元でもある大阪市の大正区。1992年生まれの阿部が小学生の頃、ドームでは"近鉄バファローズ"の『いてまえ打線』が猛威を振るっていた。阿部は近鉄のファンクラブに入って、ドームへしばしば足を運んでいたのだという。

「2001年、近鉄がリーグ優勝をした時はすごく盛り上がりました。北川(博敏)さんが代打逆転サヨナラ満塁の優勝を決めるホームランを打った、あの年です。残念ながらその試合は球場では見ていないんですが、でも1年を通して近鉄の試合は何度も見に行きました。岩隈(久志)さんがエースで、すごくカッコいいなと思っていた印象があります」

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