王貞治超えの56号、令和初の三冠王...ヤクルト小川GMに聞く「村上宗隆はいかにして日本人最強打者となったのか」 (4ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Koike Yoshihiro

── チームは青木宣親選手や山田哲人選手を中心に動いていました。

「青木の存在は大きかったですね。野球に対する考え方とか、いろいろな話を青木がしたはずなんですよね。とにかく、村上はチームの中心的存在になりたいという気持ちが強い子で、そういうところを青木が『まだちょっと早いよ』とか。悪い言い方かもしれませんが、まだ2年目なので出すぎるところは抑えないといけない。2年目の村上にとって、一番影響力があったのは青木といっても過言ではないと思います」

これからの村上に期待すること

── 村上選手の3年目からは、GMとして驚異的な成長を見守ることになります。

「まず守備でいうと、すごく余裕ができてうまくなったという印象です。バッティングは......もう言うことはないですよ(笑)。ただ一番大きいのは、チームを引っ張っていくというか、その存在感ですよね。非常に大きな存在として、チームに根づいているように感じています」

── 今年は数々の本塁打記録を塗り替え、王貞治氏のシーズン55号に迫っています。

「ちょっと長くなってもいいですか? 今シーズン、村上が王さんの記録に近づく過程で、いろいろな記憶がよみがえったんですよ。僕も王さん、長嶋茂雄さんに憧れて野球を始めた口なので、王さんの記録を超えるのはあり得ないことだと思っていました。外国人選手も含めて、55本でみんな止まっていたじゃないですか。で、それを2013年にヤクルトのバレンティンが超えた」

── その時は監督として見ておられました。

「正直、最初は王さんの記録が抜かれることに関して、複雑な気持ちが心のどこかにありました。でも、バレンティンが56号を打った時は本当に鳥肌が立ちました。その後、60本までいくのですが、その場所に一緒にいたということがチームメイトとして本当に誇らしかったですね」

── 村上選手が、王さんの記録に迫っていることに感慨はありますか。

「自分も村上のドラフトに関わったひとりですから、王さんを超えてほしいという思いを強く持っていました。いずれにしても王さんの記録に挑戦できたわけですから、それだけでもすごいことです」

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