王貞治超えの56号、令和初の三冠王...ヤクルト小川GMに聞く「村上宗隆はいかにして日本人最強打者となったのか」 (2ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Koike Yoshihiro

── 当時、監督として「消化試合で使うことはしたくなった」とコメントしています。

「チームがしっかり勝負している状況で使ってみたかったんです。消化試合の雰囲気でやるよりも、そのほうがいい経験になるだろうと。上位争いでの試合は打席でも守りでも、消化試合とは精神状態に違いが出ると思うので、そういう判断です」

── この試合で村上選手はプロ初打席初本塁打。一方、守備では初回にエラーを記録しました。

「この試合は記憶に残っています。スローイングの失策だったと思うのですが、そのミスが尾を引くのではなく、そのあとの打席でホームランを打った。彼の精神的な強さというか、図太さを感じました。ただ、守備は度外視できないということをみんなが感じてくれた試合でもあったと思います。勝負のかかっているところでの守備は......1年目に関して言うと、その試合以降、先発させられなかったのはそういう部分がありました」

── チャンスで代打として起用され、凡退するとベンチ裏のロッカーでうずくまることもあったそうです。責任感の強さはこの頃からあったのでしょうか。

「1年目はそこまで目が届かなかったのですが、そういう責任感の強い選手だというのは、のちに感じました」

大きかった青木宣親の存在

── 2年目のシーズンですが、村上選手は春季キャンプで「まずは開幕一軍、そこからレギュラーを目指したい」と語っていました。

「僕はもう一軍で使いたいと思っていました。サードのレギュラーだった川端慎吾がケガで試合に出られない状況もありましたので」

── 開幕から先発起用を続けましたが、打撃、守備ともに結果がついてきませんでした。

「監督としてチームのことを考えないといけないし、村上の将来のことも考えていかないといけないなか、両立の難しさがあったのは事実です。その道中で、まだチームの成績がいい時に『村上の起用法を考えたほうがいいんじゃないか』『もう一度、二軍で徹底的に鍛えたほうがいんじゃないか』という話がコーチ陣から出ました」

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