斎藤佑樹は夏の甲子園2回戦で中田翔擁する大阪桐蔭との対戦が決まった瞬間、確信した。「一気に優勝が見えてきた」 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 点差が開いた9回、ピッチャーが塚田(晃平)に代わって、僕はライトに入りました。応援席が近いなと思った記憶があります。何しろアルプススタンドのチームメイトから「斎藤ーっ、ちゃんと守れよーっ」なんてヤジ紛いの声が聞こえてきましたからね(笑)。

 あの時の僕は「塚田、頑張れ」と思いながら遠いマウンドを見ていました。でも塚田はコントロールが定まらなくて、結局、僕がもう一度、投げることになって......あの試合、手首は痛かったんですけど、真っすぐは抑えめに投げて、スライダーはほとんど使わなかったんじゃないかな。遅いカーブをうまく使って投げたという感じです。試合は13−1で勝って、2回戦に進みました。

横浜高校が1回戦で負けた...

 その2回戦、早実は勝ち進めばセンバツで負けた横浜と当たる組み合わせでした。もちろん横浜も勝ち進むことが条件ですが、僕のなかではあの時の横浜は僕らに勝ってセンバツで優勝した最強のチームでしたから、当然、勝ち上がってくるだろうと思っていたんです。

 ところがその横浜が1回戦で負けた......あの横浜が負けるんだとすごく驚きました。僕らのすぐあとの第3試合、横浜を倒したのは大阪桐蔭です。あの横浜にどうやって勝つんだろうと思ったら、完全に打ち勝っていた。

 当時、高2だった4番の中田翔くん(のちにファイターズ)がホームランを打って、3番の謝敷正吾くん(のちに明大)もホームラン。そうか、横浜にはこうやって勝つのか、と思いました。

 横浜高校の野球って繊細で緻密で、とにかくいろんなことを仕掛けてくる。そこに勝とうと思ったら、似たような野球をやっていてはダメなんだということだったんです。あの時の大阪桐蔭はスラッガーを揃えて、圧倒的なパワーでホームランを連発して相手を圧倒していた。早実はどう見てもそういうタイプのチームじゃなかったので、たぶん横浜と当たっていたら厳しい試合になったはずです。

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