工藤公康はプロ入り拒否→根本陸夫の強行指名で西武へ。石毛宏典が「うぬぼれが強い」と感じた左腕はいかにエースとなったのか (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

結婚を機に変わった野球への考え方

――工藤さんといえば、キャンプでかなりの球数を投げ込んでいるイメージがありますが、その時は違ったのですね。

石毛 そうですね。考え方が変わったのは、結婚してからだと思います。工藤は26歳の時に結婚しましたが、奥さんは茨城県の鹿嶋市出身でした。以来、シーズンオフを鹿嶋で過ごすようになり、鹿島アントラーズや筑波大学の方々との交流もあったりして、トレーニング方法や栄養学を学んだんだと思います。

 結婚の翌年くらいから投げ込みを始めたので、工藤に「どうしたんだ?」と聞いたら、「肩は消耗品じゃないんです」と以前とは逆のことを言ってきたんですよ。「僕は40歳を過ぎても140kmのボールを投げるような投手でいたいんです。鍛えればできるんです」とも話していましたね。そこから野球への考え方、野球人生が変わっていったんだと思います。

――工藤さんは、故障やケガをせずに野球を長く続けられるように、子どもたちの「野球肘健診」の重要性を説いていました。

石毛 工藤自身が肘や肩を故障して休んだ時期もありましたからね。投手は多かれ少なかれ、そのような故障はつきもの。それで、「なぜ故障してしまうんだ?」「故障を防ぐためにはどうするんだ?」「早く回復するためにはどんなことが必要なんだ?」と自問自答しながら、食事面やトレーニング面でいろいろなことを学んだんだと思います。そうしてインプットしたことを子どもたちに伝えたりすることで、学んだことを復習することができますしね。

――現役生活を29年間続けたことはとてつもないことですが、投球に対する探究心やケガや故障をしないトレーニングを追求したことが、現役を長く続けられることにつながったのでしょうか。

石毛 そうでしょうね。最後の最後まで真っ直ぐにこだわって、自分のピッチングを貫いた投手はなかなかいないでしょう。山本昌(元中日)やヤクルトの石川雅規なんかは軟投派で、速球ではなく打ち取る術を磨いていくタイプですが、工藤の場合は常に真っ直ぐにこだわっていました。

 高卒でプロ入りしてすぐに一軍で投げて活躍し、真っ直ぐをずっと磨き続け、どれだけ年齢を重ねても140kmは投げ続けたいという気持ちがあったんだと思います。

(後編:ダイエーにFA移籍した工藤公康の「ダメ出し」で城島健司も一流に。型破りの「新人類」は、常勝イズムの伝道者となった>>)

◆石毛宏典さん公式YouTubeチャンネル
「石毛宏典TV」はこちら>>

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る