優勝したオリックス不動の1番・福田周平。二軍降格時「中嶋監督からあの言葉がなかったら、今の僕はなかった」

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Koike Yoshihiro

 ついに25年ぶりのリーグ優勝を決めたオリックス・バファローズ----優勝の原動力を挙げればキリがない。右尺骨を骨折して最後は戦線を離脱した吉田正尚は、それでも変わらぬ存在感を示してチームを牽引した。その吉田と青山学院大学で3、4番を打っていた「ラオウ」こと杉本裕太郎が覚醒し、3割30本をクリアした。開幕からショートを守ったプロ2年目の紅林弘太郎が著しい成長を遂げれば、サードに転向した宗佑磨がスーパープレーを連発する。山本由伸が天下無双のピッチングを続ければ、やはりプロ2年目の宮城大弥が2ケタ勝利を挙げてエースに続く。T−岡田、安達了一、比嘉幹貴、平野佳寿らベテラン勢の健闘も見逃せない。

オリックスのリードオフマンとして25年ぶりリーグ制覇に貢献した福田周平オリックスのリードオフマンとして25年ぶりリーグ制覇に貢献した福田周平この記事に関連する写真を見る そしてもうひとり、シーズン途中から1番に定着し、野球人生で初めてだったというセンターを守って優勝に貢献したのが福田周平だった。広陵高校、明治大学、NTT東日本と名門チームで野球を続けてきた福田は、プロで味わう初めての優勝争いの雰囲気をこんなふうに感じていた。

「過去3年、こういう空気感のなかで野球をしてこなかったので、ちょっとしたプレッシャーは感じつつも、すごく楽しく野球ができているなと感じていました。勝つためには打たないと始まらないし、今年は1番バッターということで、とにかく出塁することを考えてきました。ヒットでもいいし、フォアボールでもデッドボールでもいい。そういう認識で僕はやっています」

 今シーズンは開幕こそ一軍で迎えたものの、3試合を終えたところで登録を抹消され、二軍行きを告げられた。福田は言う。

「一軍にいなかった時は、家のテレビでオリックスの試合を見ながら悔しい思いをしていました。一軍に上がったら見返してやるという気持ちだけは持っていたつもりです。ファームで試合に出ている時も、そこまで数字には表れていないものの、いい形でバッティングができている感覚がありました。ヒットになっていなくても、『あ、いいな』という感覚があったんです。ボールの見え方や見逃し方が心地いい時があって、そういう時はいい状態だなと思っていました。調子が悪い時はストライクかボールかの判断を誤ってしまうことが多いんです」

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