広島・今村猛で思い出す「投げすぎた」リリーフ投手たち。活躍期間は短くともその輝きは色あせない (3ページ目)

  • Text by Sportiva
  • photo by Kyodo News

 しかし2012年、右肩の故障もあって開幕から調子が上がらず、5月には選手登録を抹消された。翌年以降も肩の状態は完全に戻ることなく、2016年には1軍での登板がゼロに。2年後の2018年に現役を引退して、現在は中日の2軍投手コーチとして指導にあたっている。

 リリーフ投手の「酷使」「投げさせすぎ」問題が取り上げられる際、真っ先に名前が出るのがこの2人だ。ケガをする前の快投を目にしていれば、それぞれの球団のファンだけでなく他球団のファンの中にも、思うように投げられない姿に寂しさを感じていた人も多いだろう。

 一方で、最多通算セーブ数記録保持者(407セーブ)である元中日の岩瀬仁紀、9年連続で60試合に登板した元巨人の山口鉄也、13年連続で50試合登板を記録している日本ハムの宮西尚生など、長きにわたって活躍をするリリーフ投手もいる。浅尾は今年1月に出演したラジオ番組(『若狭敬一のスポ音』CBCラジオ)で、自分のケガについて「たぶん自分の調整不足。(79試合登板した2011年も)そんなに投げた感覚はなかった」と話したように、コンディションの調整が重要なのは確かだろう。

 しかし体の強度は人によって違うだろうし、肩などに異変があっても気づかない、もしくはレギュラーを掴むため、異変に気づいても投げ続けてしまうこともあるはずだ。かつて巨人のリリーフエースとして活躍した條辺剛も、46試合に登板した2001年の途中から右肩に痛みを感じながらマウンドに上がり続け、翌年に47試合に登板したあとは肩の状態が悪化。2005年に24歳の若さで引退した。

 2008年、埼玉県ふじみ野市に「讃岐うどん 條辺(現在はひらがなの"じょうべ")」をオープンした條辺は、引退時の久保田と同じように、起用してくれた首脳陣には感謝の思いがあるという。プロ入り2年目から、巨人に欠かせない戦力として2年間プレーできたことはすばらしく、選手としての価値をどこに置くかは自分次第の部分もある。

 それゆえ、長く現役を続けるために体の痛みを伝える、休むことを選択した選手に対しても、周囲がしっかりとサポートをしたいところだ。今年も多くの若い投手たちが1軍で活躍したが、彼らの投球を1年でも長く見られることを願っている。

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